最後の時間 ⑧

 そういう意味で三年前のわたしは、最高の仕事をしたとしかいいようがあるまい。

 

 当時のわたしの思考回路をいま、完全に再現することはできない。三年も経てば記憶は薄れる。なぜ過去の自分が日記を書きはじめたのか、いまのわたしはことばでは理解しているが、そのときに煮えかえっていた感情を再び呼び覚ませと言われても、できる気はしない。

 

 記録でもあればまだ復元できるかもしれない。そして日記をはじめたあとの思考であれば、この日記そのものが記録となって、そうする意味があるかどうかはさておき、過去を再生することもできるだろう。だが日記をはじめるに至った思想とは、日記をはじめるまえに起こったことの積み重ねである。したがって、記録もない。

 

 とはいえ、完全に忘れ去ってしまったわけでもない。その当時の記録はなくとも、最初のほうの記録を読み返せば、その直前にわたしがなにを考えていたのかということについてはある程度想像がつく。いまの文章からは想像できないなにかがそこには宿っており、わたしはそれを、必要とあれば再現することができる。

 

 そしてもちろん、記憶も多少はある。三年とは、ひとが同一人物でありつづけるには少々長い期間ではあるが、ひとを完全に変化させるほど長い断絶だというわけでもない。

 

 わたしが日記をつづけたという結果について、分かることがある。その結果を生んだそもそもの原因たる、三年前のわたしの判断についてだ。その判断はきわめて的確であった。あのときのわたしは、自分自身に課すものと課さないもののあいだの線引きがよくできていた。

 

 それはわたしが、わたしという存在になにができてなにができないかということ、なにならつづけられるかということ、そしてより重要なこととして、どんなことならついやりつづけてしまうのかということについて、よく理解していたということの帰結であった。

 

 わたしは三年間、日記を書くことを通じて自分という存在に対する理解を深めてきた。実際に深めたかはさておき、すくなくともそう自負してはいる。しかしながらある方面では、わたしはあのときすでに、わたしをよく知っていた。そしてわたし自身の精神構造をみずからハックし、日記という負荷に縛り付ける、スマートなシステムを構築していた。

 

 まことによくできていたとしか言いようがあるまい。書く内容がなくなり、書く意味などとうに見失っているいまでも、わたしはそのシステムに縛られ、書きつづけてしまっているのだから。