最後の時間 ③

 今日も今日とてつづきを書く。なにも書くことがないということについて書くという、これまで数えきれないほど繰り返した行為で、あと三十回ほどしかないことが約束されている、貴重な執筆機会のうちの一回を埋める。

 

 書くことを決めているわけではないが、書いているうちに文章ができてくる、という話であった。自分がそういうタイプだからとくに疑問に思ったこともないが、書こうとしても一向に筆が進まないタイプのひとにはきっと、けっこううらやましい特殊能力なような気がする。けっこううらやましい特殊能力ですよ、と言われたことも、何度かはあったかもしれない。

 

 その能力は確実に伸びている。この日記にわたしは文章の練習帳としての役割を与えたわけだが、とりあえずそういう意味では、上手くいった練習だと言える。なにも考えていない状態でも適当なことばをつむぎ出せるようになりたい、というよくわからない願望を持っているひとがいるなら、日記を毎日書くというのはけっこうおすすめできる方法かもしれない。

 

 とはいえ、わたしがほんとうに欲しかった能力がこれだったのかと言われると、あまりそんな気はしない。

 

 面白い文章をわたしは書きたかった。ここでいう面白さというのはあらゆる意味での面白さであり、読者を爆笑させるタイプのものであってもいいし、好奇心を刺激するものであってもいい。しんみりとした気持ちにさせるものでもいいし、臨場感と緊張感を与えるものでもいいし、レトリックの精緻さをアピールするものでもいいし、失笑を買いにいくものであってもかまわない。とにかくなんでもいいから、わたしが意図したとおりの感じかたを読者がしてくれるはずだと確信できるような、そんな上手な文章を書けるようになりたかった。

 

 そういう執筆能力を、わたしが得たのかどうかはさだかではない。というのは、試していないからだ。たしかにこの日記では好き放題にいろいろなことを試してはいるが、それではまだ、試したうちには入らない。というのも上手な文章というのはおそらく、適当なことばを脊髄反射的に並べ続けることで出来上がるものではないからである。

 

 だからわたしはたぶん、もうすこし気合の入った文章を書かなければならない。すくなくとも、書く前にだいたいなにを書くかの目星がついた文章を、である。全体の構成をまじめに考え、筋道立ててなにかを説明し、書き終わったあとでしっかり何度も読み返して修正を重ねるという経験を、わたしは積むべきである。

 

 そして残念なことに日記は、日記という制約は、そういう骨の折れることをするのにはまったく向いていないのである。