科学の定義 ➄

 そうなったとき、魔法はすでに科学の一部である。

 

 ではいつそうなったのか。

 

 社会実装がなされ始めたときか。違う。世の中の役に立たなくても科学は科学である。魔法と違って、世の中の役に立たないものを、科学は科学と呼べる。

 

 魔力と魔法使いが呼んでいたものが、新しい未知の力として認められたときか。おそらく違う。そのまえに科学者たちは、それが既存の科学で説明できないかいろいろと頭をひねっていた。原理不明の現象を検証するのが科学でなければ、いったいなんだというのか。

 

 ならば現象を観測したときか。そうかもしれない。魔法使いが魔法だと言って羽を浮かべて見せ、それがたとえば静電気や隠されたワイヤーのような既存かつ小手先の手品ではないことが理解されたとき、もしかするとそれはもう科学だったのかもしれない。

 

 そういう検証に時間はかからない。つまり、こういうことが言える。

 

 魔法は、科学者の目に触れた瞬間から、すでに科学であった。

 

 ならば魔法はどうすれば存在できるのか。

 

 すくなくともこの現代において、不思議な現象を科学者からごまかし続けるというのは難しい。科学と魔法は共存できず、だが科学はあまねく存在する。では魔法は滅ぶしかないのか。

 

 いや。そうではない。創作物のなかに魔法は存在できる。ただ科学とは共存できない、というだけで。

 

 科学以前に魔法は存在できる。実際に存在したかどうかが問題なわけではなく、存在しても矛盾はしないという意味で、だ。存在しても矛盾はしない時代を、物語は描くことができる。だから魔法は存在できる。

 

 あるいは科学から隠れて魔法は存在できる。この現代において科学から隠れる方法とは、もちろん魔法の力である。

 

 そう考えれば魔法とは、科学者という厄介で自己中心的な侵略者から離れていることによって成立する、もうひとつの科学の形態である、と言えるのかもしれない。

 

 思い返してみれば魔法とは、それなりに科学的だ。

 

 魔法世界には研究所がある。教育機関がある。巨大な図書館がある。あるいは軍隊があり、魔法を戦争に用い、強大すぎる魔法は土地をも呪う。また魔法は市民の交通の手段であり、料理や掃除や洗濯やいたずらに用いられ、情報伝達の役割も担っている。機能だけを見ればまったく、科学がやっていることと変わりがない。

 

 反面魔法は物理法則を無視できる。もちろん魔法世界で物理法則などというものは知られていないし、したがって守られるべきものでもない。体系が違うとはそういうことである。もしかすると科学世界は、魔法世界がしたがうなんらかの法則に真っ向から違反しているのかもしれない。