科学の定義 ②

 たとえば、魔術について考えてみよう。

 

 魔術は科学と呼べるか。

 

 科学革命後の科学者にそんなことを聞けば間違いなく、お前は馬鹿か、と言われるだろう。

 

 曰く。科学というのは魔術などとは違い、世界の真実を探るための体系化された正式なプロセスなのだ。魔法の世界とは、神や信仰や邪教の儀式や迷信が支配する無知蒙昧な世界であり、そこから足を洗うことによってはじめて、世界は有効な進歩を始めることができるのだ。だから魔術とは科学の忌避すべき態度の体現であり、反面教師であり、完全に相反するものなのだ。

 

 なるほど歴史はそのことを証明している。証明している歴史をわたしたちは習っている。

 

 だがいっぽう、よりメタな視点から見れば、科学も魔術も似たようなものだと言うことができる。どちらもなんらかの技術によって、自然には起こりえないなにかを起こしたり、制御不能ななにかを制御したりするものだ。どちらも適切に使えば、わたしたちの生活を便利にしてくれたり、新しいビジョンを見せてくれたりする。どちらも強大な力であり、悪用すれば大変なことになる。

 

 では実際に魔術のどこが科学でないのかと聞かれれば、具体的な指摘は難しい。なにしろ魔術は存在しないからだ。すくなくとも現代科学は魔術の存在を認めていないし、魔術のがわも、その存在を科学的に証明できてはいない。そして存在しないものには、問題もまた存在しないわけだ。

 

 唯一言えることは、魔術が実際には存在しない以上、現実科学の世界に暮らすわたしたちは、魔術のどこが科学ではないかという問題について真面目に考えることなく生きていくことができる、ということである。

 

 サイエンス・フィクションにおいて事情は異なる。創作の世界において、作者がそう言えば、魔術は実際に存在することができるからだ。だから原理上、科学と魔術の線引きを作中で議論することは可能だし、わたしは寡聞にして知らないが、きっとそういう作品はあるだろう。だが今回議論したいのはそこではない。

 

 創作の世界に存在する、科学とも魔術とも呼びうるなんらかの技術は、その片方しか存在しない世界に住んでいるわたしたちから見て、そのどちらに属するのか、ということが、今回の疑問の主旨である。

 

 言い換えるならそれは、目の前の作品がサイエンス・フィクションなのかあるいは魔法小説なのか、という問いでもある。そのふたつのジャンルを分けるのは、いったいどのような観念なのだろうか。

 

 現実世界を見ても答えはわからない。だからわたしたちはいったん、創作の中に行く必要がある。