視力 ①

 学会に限らず、学術発表を聞くたびにいつも、不思議に思うことがある。スライドの字が小さすぎて、後ろのほうの席に座っているひとはどうやってあれを読んでいるのか、ということだ。

 

 学会でわたしはたいてい、前のほうの席に座っている。会場やスクリーンの大きさにもよるが、いつもだいたい前から五列目までにいる。遅刻したり席が空いていないときは必ずしもその通りではないが、特段の理由がなければ、たとえ寝てしまいそうだとしても前には座るようにしている。

 

 目は良くない。良くないといってもすこぶる悪いというわけではなく、裸眼で外を歩いても身の危険を感じない程度には見えている。とはいえスライドの文字を読むのは裸眼ではとうてい無理なので、そういう状況ではいつも眼鏡をかけている。度が強いが疲れるほうの眼鏡と疲れないが見えにくいほうの眼鏡があって、強いほうをかけると矯正視力が一・〇くらいになる。

 

 で、スライドが読めるかと言えば、いつもかなりギリギリである。

 

 小さい文字の発表では、かなり頑張らないと読めない。かれらの使っている文字が最低何ポイントなのかわたしは知らないが、たぶん十二とかそこらへんだと思う。とにかくそのサイズで書かれた文章を読むのは、部屋の前半分にいても、けっこう厳しい。眼鏡の傾きをいろいろと調整したうえで目を細めて矯めつ眇めつして、やっと追えるかどうかだ。二十分続けると目が死ぬ。ちなみに脱線すると数学には添え字という文化があって、文字の右上や右下に小さくべつの文字が書かれたりする。数学的概念を表すにはすこぶる便利な記法なのだが、スライドを読むときは最悪である。

 

 で、それなりにまともと思わしき矯正視力のわたしが部屋の前半分にいて読めないのだから、ほかの参加者はいったいどうしているんだ、というのがかねてからの疑問である。

 

 回答一、じつはみんなマサイ族であり、それはもうとんでもなく目がいい。

 

 視力とは非常に明快な尺度だ。視力が二倍であるとは、二倍の距離から同じものが見えること、あるいは等価に、同じ距離から半分のサイズのものが見えることを指す。スクリーンから最後列までの距離をわたしがいる位置までの距離の二倍として、最後列のひとがわたしと同じくらい見えていると仮定すれば、かれらの視力は二・〇である。実際にはわたしはスライドを読めているとはいいがたいから、世の大多数は、適切に矯正器具の力を借りれば、視力三・〇は下らない、ということになる。運動選手とかならまだしも、理論研究者たちの集まりがそんなことになるわけがないので、この回答は間違いである。