生体幕府 ④

 桜田門で馬を降り、マットは城内へと向かってゆく。

 

 江戸城の敷地に、サイバネホースは入れない。前時代的とも言えるその規制は、百五十年前にこの地で起きた、幕府高官の暗殺事件に端を発している。

 

 浦賀沖に現れた四隻の軍艦を生体兵器によって爆破し、大破撃沈させた江戸幕府は、船の乗員の生き残った一部を捕虜とし、江戸城内の牢獄に閉じ込めた。かれらの処遇については幕府内で議論が交わされ、さまざまな意見が飛び交った。

 

 多くの老中は釈放を支持した。むろん、以後の対外関係上の利益を考えてのことである。かれらは幕府がこの二百五十年間怠り続けてきた外交関係を復活させるための貴重な駒であり、したがって丁重に扱うべきである。かれらは穏健にも、そう主張した。

 

 それに待ったをかけたのが、当時の大老井伊直弼である。外交に関する考え方こそかれは周囲と同じだったが、その手段は違った。つまり、捕虜を外交の駒とするということにこそ賛成はするが、ただ釈放するのではもの足りず、生体改造を施すべきである、というわけだ。

 

 最新のロボトミー技術を駆使して最高の外交官を製造すれば、外交の点で他国を凌駕することができる。大老がこう主張したのは、配下の生体技術者たちのなかでももっとも過激なものたちに吹き込まれてのことではあったのだが、そんなことは市井の人間の知った話ではない。噂好きの町人たちのあいだで広まった噂にはどんどんと尾ひれがついていき、改造された外国人たちが反体制派を殺すだとか、大老は下級士族を殺人機械に改造しようとしているんじゃないかとか、いや俺たちもいずれ改造されるんじゃないかだとか、とにかくそういう恐ろしい話がささやかれるようになった。

 

 水戸藩の追放技術者たちが恐怖を行動に移した。今のサイバネホースのプロトタイプ――当時は幕府の人間にしか利用が許されていなかった――を調整の名目で引き取ると改造を施し、自爆カモメと同じような生体兵器に仕立て上げた。そして大老がそれに乗って現れるのをひたすら待ち、三月三日、ついにそのときが来ると、起爆命令を叫んだのだった。

 

 マットはここを通るといつも、母国で起こったあの事件を思い出す。まだ記憶に新しく、そしてはるかに大規模ではあるが、交通手段を使ったテロリズムという意味では同種の事件だ。もっとも、たとえ新宿のビルに飛行機が突っ込んだところで、あれほどの被害が出ることはないだろう。耐火クジラの皮膚でできた日本のビル材はより柔軟で、火事にも爆発にも強いのだから。

 

 目の前の天守をマットは一望する。生体素材による耐火技術がいち早く導入されていたがために大火事を免れた、江戸最古の建築のひとつ。壁面で蠢く葵の文様は江戸の象徴であり、だがマットは生理的にそれを受け付けない。つとめてそれを意識しないように心がけながら、マットは謁見の間へと入ってゆく。