生体幕府 ①

 その船は、これまでに見たどんな船よりもデカかった。

 

 アメリ東インド隊司令長官・マシュー・ペリーを載せた真っ黒な船。未知の動力で動くその四隻の巨大戦艦は、まるで蒙昧な列島に振り下ろされた鉄槌のように、海原からこちらを睥睨していた。

 

 隣に立つ見知らぬ男は、ぽかんと大口を開けていた。隠し持っていた小判が袖から落ちるのにも構わず、ただその巨大な威容に見入っていた。別のものはことばにならぬ叫び声を上げ、だがだれひとり、その奇声のほうを振り返りはしなかった。みなが思い思いに、最大の驚きを体現していた。唯一、目の悪く薄汚い掏摸だけが、一世一代の書き入れどきだとばかりに、町人たちの懐のあいだを駆けずり回っていた。

 

 船上では真っ黒な大砲が、まさに江戸の町へと向けられていた。家も城も、全部まとめてぶっ潰してしまおうとでも言わんばかりに、それらの大筒は数日来ずっと、切れ目のない臨戦態勢を敷いていた。あれは何をするものなのだろう、そう俺は思う。あの筒から発射されるのは、いったいどれほどまでに禍々しい物体なのだろう。

 

 梅雨明けの猛暑。額から汗が流れ、草履に落ちる。つま先に生暖かいものを感じ、思わず一瞬、船から目を離す。

 

 そのときだった。凶兆を告げるかのように、浜辺の鳥が一斉に飛び立った。

 

 そして。なにかを祝賀するように、その巨大な筒の一門が火を噴いた。

 

 丘の上は静まり返り、俺たちは頭を抱える。だが、衝撃はない。

 

 それは空砲だった。

 

 安心したと言わんばかりに、鳥たちの一部は浜辺に戻る。

 

 すこし遅れて、幕府の役人が馬を駆って来る。そして息を切らせながら、記念日だ、と一息に言う。わけもわからずぽかんとしている俺たちに向けて、役人は説明する。心配することはない。今日は黒船の国の独立を記念した重要な日で、やつらはあくまで、それを祝して空砲を撃っただけなのだ、と。俺たちは半信半疑で、だがほっと胸をなでおろす。

 

 と、再び砲の音が聞こえた。一発、二発。心配無用、と役人が叫び、今度は俺たちも興奮に叫び出す。俺たちは黒船を見に来たのだ。こうして実際に黒船が火を噴くさまを見られるとは、なんたる幸運。

 

 村に帰ったら誰に自慢しようか、と俺は考える。昼間の控えめな熱狂が、俺にそんな気のいい妄想をもたらしてくれる。

 

 四発目の音に、ばさり、と、なにやら新しい音が混ざる。鳥の羽ばたきの音。

 

 まさか。もしかして、幕府はこれを見越して……

 

 そう思った瞬間。五発目を放とうとしたミシシッピ号の砲門に鳥の群れが突っ込み、自爆し、巨大な爆炎とともに、艦全体が跡形もなく吹き飛んだ。