生体幕府 ②

 摩天楼に挟まれた高架道を、馬が、駆ける。

 

 関東ローム層のやわらかい赤土が敷き詰められた、幅七メートルの道路。そこを、馬が、数えきれないほどの馬が、色とりどりのたてがみを思い思いにたなびかせながら、六列縦隊で、流れるように走り抜けてゆく。

 

 首都高速道路。人口七千万を抱える江戸都市圏の中核を一周する環状道路は、その交通量にもかかわらず渋滞とは無縁である。上下に七段からなる層状構造のそれぞれを馬が六列縦隊で走る、しめて四十二の並行交通網だ。

 

 そこを走る馬たちは、現代生体技術の結晶である。空間認識および体勢調節能力を現代の生体技術の限りにブーストされ、縦方向にも横方向にもごくごく短い馬間距離にもかかわらず、それらはけっして互いにぶつかり合うことはない。高速回転する四肢の動きは同期し、蹄の音がメガロポリスのバイオリズムを奏でる。

 

 海外ではサイバネホースと呼ばれているらしいそれらの馬たち――日本人は、単に「馬」と呼んでいる――の遺伝子は、江戸幕府中期から二百年以上にもわたる遺伝子工学が見つけだした究極のパターンだ。そのパターンは実験室で汎用卵子へと埋め込まれ、シャーレでしばらく培養されると、五十頭を一度に育てられる巨大な養育馬の子宮に収められる。

 

 そうして胎内で二週間ほどを過ごした馬の胎児たちは、無事に「生まれる」と――もっとも、養育馬が不慮の事故でも起こさない限り、「無事に生まれ」ないことはほぼありえないのだが――まずは筋肉増強剤の注射を受ける。こちらももちろん現代生体工学の生み出した珠玉の物質であり、生体への悪影響なしに莫大な運動能力を得られることから、体重五百キロを超えるような人間の力士にも投与されている。おかげで馬たちは、最高では時速二百五十キロメートルまでの速度を出すことができるようになっている。

 

 ぶつからないための認知能力を得るのに必要なものは脳科学技術だけではない。一切の死角を作らないよう、蜘蛛の複眼をもとにして作った二十八の目が、眉間、足の付け根、尻尾の根本、腹の下など、身体のあらゆる場所に取り付けられる。そのすべてに専用の目薬を差し、動体視力が上げられる。そうすることで馬は、取り付けられた爆発物のせいで空中で死んだ輸送鷹が頭の真上に落ちてきたというような、極端な緊急事態にも対応することができるようになる。

 

 それらすべての施術を行ったあとに、走行練習場で動きを学習し、最後に乗り手の好みに合わせて色とりどりのボディペイントを施されてはじめて、馬たちは晴れて首都高を走れるようになるのだ。