ヒロインを描く ①

 魅力的なヒロインを描くということに、ここ六日ほど挑戦してみた。わたしの思惑通りの魅力を彼女が持ってくれたかはさておき、いい練習にはなったと思う。

 

 奇抜な見た目と行動が謎を呼び、それが他人に引き起こす心理的効果を理解して利用する、底の知れない洞察力と悪意を持つ女性。「会うたびに見た目が変わる」という設定だけからスタートして動かしてみた結果、そういうヒロイン像が浮かび上がってきた。主人公の「ぼく」はそんな彼女に魅入られ、いいように手玉に取られながら、そうなるのが当然なのだと素朴に信じこまされている。なにせ彼女は「ぼく」の心理状態について、当の「ぼく」自身よりも断然、よく分かっているのだから。

 

 彼女のセリフを考えるのは難しくなかった。というのも、それを書くにあたってはただ、「ぼく」の深層心理をはっきりと言い当ててやりさえすれば良かったからだ。自分自身の感情の正体を探り当ててことばにするということに関してわたしは、作中の「ぼく」に比べればだいぶ、慣れているつもりである。彼女の悪意に目をつけられた人間がどのように感じ、そして実際には自分がどのように感じていると思い込むだろうかということを想像するのは、わたし自身が常にやっていることの延長線上にあった。

 

 とはいえ。そうやってわたしが描き出したのは、あくまで「ぼく」の内面であってヒロインのそれではない。策謀家のヒロインに絆される哀れな男子学生を描くことには成功したのだろうが、ヒロインそのものについてはどうだろう。わたしは彼女をただ、「ぼく」をもっとも激しく翻弄する存在として描いた。だが、彼女自身を、その思想や行動の機微を、悩みや願いを、描き出してはいない。

 

 ヒロインとは多かれ少なかれ、ご都合主義的な存在である。彼女らは主人公を惹きつける魅力を持ちながら主人公を特別に扱い、主人公の物語を前へと進める手伝いをしてくれる。だから彼女が少なからず「ぼく」のための存在であったというのは、べつに頭ごなしに否定されなければならないようなことではない。だが「ぼく」によって定義され、「ぼく」の目を通してしか語られ得ない存在だというのは、いささか都合が良すぎるようにわたしは思う。

 

 そう。作中の「ぼく」と同様、わたしも彼女についてなにも分かっていないのだ。「ぼく」とは無関係な場で彼女がどのように振る舞い、考えるのか。それは設定されていないし、想像しようとしても、彼女をそのように作ってはいない以上、うまくいかない。