数学英語は簡単? ②

数学英語は簡単だ、論理は明快で構文も単純だ。必要な文法事項は中学生レベルだし、使う単語だって限られている。普通の英語で扱うものと違って、数学は同一のものには同一の表現を与えるから、なにがなにに対応するかとか、そういう面倒なことを考えなくてもいい。

 

書くときだって、簡単な英語で済む。だから英語で書こうが日本語で書こうが、労力はそう変わらない。なんなら証明など、英語のほうが書きやすい可能性すらある。よく読む証明の文章は全部英語だから、書くのもきっとスムーズだ。それに、テクニカルタームの大半には英語しかないのだから、日本語で書くならわざわざ日本語訳を考えなければならない。

 

これまでのわたしはそう信じていた。心から信じていたから、言い続けてもいた。けれど最近、執筆に AI を多用するようになってはじめて、わたしは欺瞞に気づいた。数学英語が楽だというわたしの主張は、若者特有の強がりに過ぎなかったとわかった。

 

断言しよう。数学においても、英語は母語とは異なる。たしかに数学英語はほかの英語よりだいぶ簡単だけれど、数学日本語と比べればやっぱり面倒くさい。国際学会に出す論文をもし日本語で書いても良いのならば、わたしはきっと日本語で書くだろう。そしてその理由は、イントロなどの語学力の問われる部分を書きやすいからだけではけっしてない。これまで簡単だと思っていた、証明その他純粋に数学的な部分ですら、結局は日本語のほうが楽なのだ。

 

かくして最近、わたしは証明も日本語で書くようになった。日本語で書いて自動翻訳にかけ、出てきたものを手直しするほうが、最初から英語で書くより楽だから。一度この味を覚えてしまうと不思議なことに、もう英語など一文字も書きたくなくなってしまう。これまで当たり前のように書いていた、「この節では以下の定理を証明する」「補題より、A は B と等価である」といったごくごく単純な文章でさえ自動翻訳に頼りはじめる自分が、間違いなく存在するのである。

 

わたしは認識を改めた。結果として、これまでできていたこともしなくなった。数学英語は難しいけれど、すべてが不可能なほど難しいわけではない。英語でやったほうが楽な部分はまだたくさん存在しているはずだ。要するに、わたしは少々行き過ぎてしまったようだ。数学英語の難しさを、いまのわたしはきっと過大評価している。

 

自動翻訳がこれほど発展するまでわたしが信じ続けてきた言説は、きっと百パーセント間違っていたわけではない。むしろ大部分が真実だったからこそ、信じ続けるに足りたはずなのだ。では、どれだけ信じるのがちょうどいいのか。

 

それを知る日には、技術はきっともっと発達しているだろう。だからもしかすれば今の認識は、そう遠くない将来に正しくなるかもしれない。