歯痛 ➄

 歯医者に行ってとりあえずの処置をしてもらった。おかげで今は痛くない。つぎの予約までこの調子で行けるかはわからないが、とりあえずこの瞬間を取ってみればまあいい調子である。

 

 痛みは激しかったが、それとはべつに不思議なものでもあった。ペンチで締め付けられるようなその痛みはしばしばなんの前触れもなく現れるのだが、問題の歯は毎回変わるのだ。そのせいでわたしは、現実の激痛をともなう何度もの発作と格闘しながらそもそもどの歯が本当に痛いのかよく分からないという、なんとも奇妙な状態に置かれていたわけである。

 

 なら全部悪いのではないか。すこぶる素朴にわたしはそう考えていたし、そう考えるのが自然だったといまでも思う。実際わたしは何度もの発作を通じて悪い歯にあたりをつけようとし、発作が出ると口の右奥に指を突っ込んで歯を一本一本押して痛みを確かめた。そうした三日ほどの苦痛を経て、調査の試みはおそらく成功したかのように思われた。右の奥歯のうち、右上の外側から一本目と二本目、それと右下の二本目の合計三本。他人の症状の描写に正確性を求めるひとなど担当医以外にはいないだろうから以下のようなことわりを入れる意味はきっとないのだろうが、それでも書かずにはいられないので一応書いておくと、わたしに親不知は生えていない。

 

 そして悪い歯を推定するその観察にはひとつだけ大きな、無視できない穴があった。それにはわたしも気づいていて、不思議には思っていたが、そういうこともあるのだろうということで深くは考えなかった。歯が痛みだしたのはつい最近、この前の週末のことである。そんな短期間で、これまではなんともなかった三本もの歯が立て続けに炎症を起こし、耐えきれないほどの痛みを発生させるなんてことがあるだろうか?

 

 偶然は三つ同時には起こらない。ひとによっては二つと言うが、わたしは三つだと思う。そして目の前の、いや口の中の現実において痛い歯は三本であり、これらすべてがほんとうに痛んでいるならば、それは同時に起きた三つの偶然である。

 

 そのおかしさを直視できなかったことで、実害は発生していない。三本がかわるがわる痛むのだと歯医者に言うと、かれは当然のように悪い歯を一本だと言ったし、そういう前提で治療は行われたし、それはおそらく正しかった。原因と推測される歯に麻酔をされると、ほかの部分の痛みもなくなった。神経というのは不思議なもので、歯の痛みをとなりの歯のものだと錯覚するとか、上あごの痛みが下あごで発生するとか、そういうことが起こるらしいのだ。正しい歯に処置をされたのだから、わたしが認識を誤ったことは症状を悪化させてもいないし、治療を遅らせてもいない。

 

 だが、悔しい。現実を正しく見るための確固たる推論がわたしの頭の中にすでに存在していたのにもかかわらず、自分の痛覚のほうを信じて、間違った結論を出してしまったことが。正しい結論はけっして青天の霹靂などではなく、すぐそこにあったものだったのに、それを信じてやることができなかったことが。ちょっと悔しいだけだろうと言われればそれまでだが、それでもやっぱり、悔しいものは悔しいのだ。