小手先の変化

ここ何日か、ちょっとした実験もかねて、日記の文体を変えてみた。いろんな表現をちょっとずつ口語調にして、全体としてちょっとフランクに見えるように。軽っぽい感じに聞こえるように、語尾もいじった。

 

深く考えてのことじゃないけど、まったく考えなしにやったわけでもない。あの内容は正直、軽っぽい文体にしないと、イタい。なにせ自分の過去のことを語るんだ、いつもみたいに表現が仰々しいとなんだか、ものすごい残念なひとみたいになっちゃう。自分の悩みについて「わたしはナントカだったのである」、だなんて、ナルシストみたいで気持ち悪い。まあ所詮は表現の問題、軽っぽくたってイタいものはイタいんだけどね。

 

で、まああれは実験的な試みだったから、いったん振り返っておかないといけない。検証をしない実験なんて、月が替わってもめくらないカレンダーみたいなもんだからね。文体を変えてみる、っていう実験は、上手くいったのか。要するに、新しい文体をちゃんと身につけられたのかどうか。せっかく素直に答えられる質問なんだから、そうしよう。世の中、正直に答えてもだれも困らない質問なんて、そう多くないからね。

 

実験は正直、失敗だった気がする。フランクを目指したけれど、なんだかんだ、そうなりきれはしなかった。

 

たしかに、語尾はフランクにした。この文章だってそうだけど、たとえば普段なら「ナントカだ」って書く部分を、「ナントカだね」って書いたりね。まあそれだけで、文章はそれなりにフランクにはなる。キャラクターの語尾を「じゃ」にするだけでおじいさんになるのと一緒。そう考えると役割語って、めちゃくちゃ偉大だね。

 

でも、やったことはといえば、結局それだけなんだ。

 

文体を変えるってのはこういうことじゃない。文体ってのは、ただ語尾が違うとかそういう、小手先の変化のことじゃあないんだ。あたらしく文章を書いて、それがこれまでと違う文体だと主張したいなら、もっとこう……文章そのもののスピード感が違わないといけない。そうするためには文章の構造のレベルで、きっと考え直さないといけないんだろう。

 

この文章はある意味では、いつものとほとんど一緒。いま気を付けていることといえば、ただ語尾を口語的にすることと、あとは一人称の「わたし」を使わないようにすることくらいだ。それだけでたしかに印象は変わるかもしれないけど、論理展開は変わらない。だからちょっといじるだけで、いつもの文章に早変わりだ。

 

じゃあ、そうじゃない文章を書くためにはいったい、なにをすればいいんだろう。