厳密トロッコ問題 ②

さて、制御棒をどちらへ動かすか、答えは出ただろうか。再度言っておくが、あなたは完全に明晰だ。即座に答えを出したとて、あなたが軽薄な人間だなとどは何人たりとも思わない。逆にあなたが答えなければ、答えずにいるその間ずっと、あなたは世界に優柔不断を証明し続けることになる。

 

決断の助けになるならば、こんな仕掛けを導入しても良い。制御棒はオンとオフの二択だが、初期状態においては、そのどちらともとれぬ状態になっているとしてもよいだろう。先の主張と矛盾すると思うかもしれないが、確率論において、確率ゼロの事象は起こりうるのだ。あなたは物理的存在だから、一度制御棒を動かせば、元の状態に戻すことは決してできない。だが初期状態はより上位の悪魔的存在が決定していて、そういう存在は、たとえ確率がゼロでも、起こりうることなら起こすことができる。

 

もしあなたが、再三の忠告にもかかわらずまだ決断していないとすれば、この仕掛けは希望のように見えることだろう。すなわち、制御棒に一切手を付けず曖昧な状態に保ったまま分岐に突っ込めばいいのだろう、と。だがあなたも知っているように、希望とは後に続く絶望を引き立てるための舞台装置。もちろん、先延ばしは不可能だ。

 

不可能とはどういうことだ、現にそれは可能じゃないか、とあなたは考えるかもしれない。そして考えたなら必ず、実行に移そうとするだろう。というわけで実行の前に、ひとつ忠告しておこう。わたしが今回の設定を、いくらでも弄り回せることをお忘れなきよう。

 

脅したところでどうせ大した設定などできないだろう、と高をくくる気持ちは理解できる。だが高をくくるのは、以下に述べることを聞いてからにしていただきたい。せっかくだし、一言で言ってみることにしよう。

 

そうだな、わたしは法を設けるつもりはない。

 

つまるところ法とは、人間の行動と対応する罰則の組合せだ。たいていの人間にとって、罰則による不利益は、行動による利益より何倍も重い。だから合理的な人間は、わざわざ法を犯すような真似を起こさない。社会秩序は、そういう理性への信頼のもとに保持されている。

 

だが別の見方をすれば、法とは行動に対するペナルティの上限の保証でもある。もし定められたペナルティが、行動の利益と比べて取るに足らないものであったのならば、あなたに法を守る理由はない。好きなだけ法を犯し、ペナルティを甘受するがよい。それが合理主義というものだ。

 

そして。決断をしないことの甘美さに、比肩しうるペナルティなど存在しない。

 

あなたが制御棒を動かさなかったところで、パートナーと作業員の両方が死ぬわけではない。ましてや、あなたが死ぬわけでもない。誰かが死ぬ程度のペナルティの重さが、決断という困難性に勝てるわけがない。だからこそ、あなたはこうやって決断を先延ばしにしているのだ。唯一設定できることがあるとすれば……こんなところだろう。あなたが決断しない間、ポイントまでの線路はいかにしてか延長され続け、あなたはただ延々と、決断を迫られ続けることになる。

 

さて、決断はできただろうか。制御棒を作った悪魔に聞いたところ、地獄には優柔不断の池というものがあるらしい。生前決断をしなかったひとが送られる場所で、見た目は普通の血の池地獄だが、苦しみは肉体的なものではなく、決断を先送りにする苦しみだそうだ。そこに堕ちた者の選択肢は、二つに一つ。永遠を血の池の底で過ごすか、池から頭を出して殴られ続けるか。苦しみは、その二択を先延ばしにする焦燥感に、永遠に駆られ続けること。

 

どうだろう。決断はできただろうか。