では最後の助力だ。これを言い終えたあとにはもう、わたしから言うことはない。最終的に決めるのはあなた自身だ。わたしが判断を代わってあげることはできない。
助力。先人の知恵。
あなたは決して、ひとりではない。わたしは既に、行先を決めている。決めた経験がある。
わたしだからできたのだろうと、あなたは言うかもしれない。だがわたしの性格は重要ではない。わたしである必要もない。大事なのは、決めることのできたひとが、この世に存在しているという事実だ。
命の選択。
あなたの目の前の状況。どちらかを選ぶことを、あなたは罪だと思っているのかもしれない。生かす方を選ぶとはイコール、殺す方を選ぶということだから。
その感性を否定する気はない。誰だって人殺しは嫌いだ。
だけれど、すくなくとも、あなたにはわたしという共犯者がいる。あなたは孤独ではない。すべてが終わったら、話にはいくらでも乗ってあげよう。
わたしは数年前、あなたと同じ状況にあった。もちろん細部は異なる――線路の傾斜角とか、縛られている作業員の人数とか、そういう本質的でない細部は。だが本質的には、同じ状況と言っていい。そしてわたしは、即座に制御棒を動かした。
その選択を、わたしは後悔していない。
もちろん、ランダムに動かしたわけではない。当時のわたしも明晰だったから、制御棒をどちらに動かせば何が起こるか、わたしは完璧に把握していた。迷いはなかった。わたしが思う方向にわたしが動かした結果、わたしは現状に満足している。もし何かの気の迷いで逆に動かしていたなら、わたしは間違いなく後悔していただろう。
だから、どちらを選んだにせよ、その選択には自信を持ってほしい。
で、わたしの選択はどちらだったのか。あなたが知りたいのは、きっとそのことだろう。
残念ながら、教えてあげることはできない。教えれば、あなたの選択に影響を与えてしまうからだ。あなたがわたしをどう思っているかは知らない。だから、わたしの選択を聞いたとして、あなたがどちらを選ぶのかはわたしには予測できない。だが間違いなく、わたしの選択を伝えた瞬間、あなたの選択はあなたのものではなくなってしまう。
今一度言っておく。重要なのは、世の中には、もう判断しているひとがいるということだ。
判断は罪ではない。とりわけ、それ以外に何もできることがない状況では。
ひょっとすると、あなたが心配している罪は、あなた以外の罪かもしれない。判断に罪がないことは、わたしに言われなくても分かっている。だが生き残ることは? 誰かを犠牲に生き延びたと知ったら、その人は残りの人生を、どうして過ごせばいいのだろうか?
生存者が顛末を知らなかったとしても、あなたがそれを秘密にするという罪のほうは?
わたしはそれを気にしなかった。だからこうして、あなたに語り掛けている。だが気にするのも、まったく正常な反応だろう。
だからもし必要とあらば、あなた含め、関係者の記憶はすべて消去されると想定してもらっても構わない。あなたさえ望めば、知り合いの悪魔に頼んで、あとでそうしてもらおう。わたしにはそれができる。
さて、決断はできただろうか。
苦しみを終わらせる決意はできただろうか。
わたしが思いつく限りの、決断上の障壁は取り払った。これでも判断できないというなら、もうわたしにはなすすべがない。だから、お喋りはこれでおしまいだ。わたしは去ろう。あとはあなた個人の判断だ。
さらばだ。健闘を祈る。