厳密トロッコ問題 ③

まあ、決断できてなどいないだろう。あなたはこれまで、選択を回避し続けてきたのだから。

 

今みたいな状況に実際に直面するのは、あなたにとって初めてのことだろう。だから普通なら、あなたが決断できなくても仕方ないのかもしれない。完全な明晰さをもってしても、初めての状況を理解するのにはそれなりの時間が必要だ。そしてあなたは、何の前触れもなく、突然暴走するトロッコに乗せられたのだ。一瞬で答えろなどと、無茶を言われる筋合いはない。

 

だが残念ながら、その論理には穴がある。すなわちそれは、あなたが状況を理解できないことはあり得ないということ。トロッコ問題、それはもっとも有名な倫理パズル。普通に生きているひとなら、もう見飽きるほど見てきているはずの状況。あなたはずっと前から、まさしくこの状況そのものを知っていた。判断を決める機会は、過去にいくらでもあった。

 

そしてあなたは、今の今まで、判断をしてこなかった。

 

……いや、もしかするとあなたは、判断をしていたのかもしれない。先送りにするという判断を。

 

咄嗟の判断。

 

最初にトロッコ問題に出くわしたとき、あなたはおそらく、今より安全な状況にあった。だから、あなたはこう考えたのかもしれない。

 

暴走するトロッコに現実に乗っている状況など想像がつかない。言うまでもなく、そのときの心境も。だから仮に今、安全な場所で判断を下したところで、事件の渦中ではなんの役にも立たない。その状況を体験しないと、答える意味がない。だから実際にそうなったときに取った行動こそ、わたしの答えである、と。

 

きわめて論理的な判断。実際にトロッコに乗せられるまでは判断を下さないという判断を、あなたはした。そうしてトロッコの上の自分に、すべてを委ねる。極限状態での判断こそ、もっとも信用に足る判断だから。

 

ランダムネスには神が宿る、という話もある。切羽詰まった状況で、もう何も考えられなくなったとき、ふとひとは無心の境地に至り、完璧な行動を矢継ぎ早に繰り返す。火事場という普遍のモチーフ。冷静に考えれば馬鹿馬鹿しい特殊能力は、冷静な考えを捨て去ってはじめて発動する。

 

特殊能力に任せる。あなたの想定では、きっと通用する答えだったのだろう。だが残念ながら、状況はそこまで生易しくない。あなたが制御棒を動かすまで、決して分岐は近づかない。

 

どうしようもない一瞬は、あなたには決して訪れない。あなたが選ぶまで、決断の責め苦は延々と続く。

 

これまでと全く同じように、あなたは判断を先延ばしにし続けることができる。違うのは唯一、その間ずっと、あなたが重力加速度と、うなりを上げる風の圧力を感じ続けることだけ。

 

これで決断はできただろうか。いや、できていないだろう。