長編へのビジョン

日記をはじめて百五十日が経過した。毎度のことだが、最初はここまで続くとは思っていなかった。

 

こんな書き出しにはもうみな飽きているはずだから、今日は単刀直入に言おう。ネタ切れである。昨日までのテーマはもうだいたい書き切って、そして新しいテーマは見つかっていない。新しいテーマが見つかるまで、こうして書きつなぐしかない。

 

さて、百五十日とはそれなりの期間である。正確に見積もるのはたいへんだが、かりに一日平均千字を書いていたとすれば、もうしめて十五万字である。これは長編小説一本分の長さだ。

 

もちろん、同じ労力を小説に差し向けたところで、今ごろ長編が完成していたことにはならない。まず第一に、日記と小説はまるでことなる。日記はその日に思ったことを書けばそれでよいが、小説には長期的なストーリーが必要だ。第二に、この五ヶ月でわたしの文章は大きく変わったはずだから、もしこの期間で小説を書けば、まるで別人が分担したようなへんてこな文章になってしまっただろう。

 

だがそれでも小説は、わたしがこんな日課を続けている理由のひとつだ。たしかに日記と小説はちがう、それでも小説だって文章だ。だから、日記のスキルだって生きると信じてもいい。

 

さて残念ながら、長編小説に必要なストーリーの構成力は、日記とはまた違った能力だ。こまかい文章のテクニックとは違って、日記を書いてもたぶん身につかない。この日記でも、わたしは過去に小説にチャレンジしたが、ぱたりと止まってしまった。原因は、世界設定が甘すぎて話が進まなくなったことだ。世界設定に関しては、いまでもたまに進めているが、どこをどう設定したらいいのか、しょうじきよくわからない。

 

さて、話を戻そう。思えばわたしは、長期的な視野というものをまるで持ち合わせていないようだ。現在博士一年、順調なら三年後には職に就いているが、その姿は想像できない。いわんや、人生設計をや。研究にかぎったところで、長期の研究計画なんてありゃしない――あるとすればそれは、成り行きに任せることだけ。

 

そんなわたしに小説など書けるかと聞かれれば、もちろん自信はない。だが、べつに信じない理由もない。この日記に書いていた小説に関しては、すくなくともゴールは想像しているし、それにどうやら、書き続けるだけなら意外とできるようだ。