追憶 side: ハルカ 前編

正午。連時式のブザーがけたたましく鳴り響き、授業の終わりを告げた。

 

楽しい時間を一刻もムダにはしまいと、すごい勢いで少年少女たちが教室から弾け出た。その勢いはちょうど、さっきまでの授業の記憶、古代社会の技術特許権に関する退屈な話が、彼らの頭から飛び去るのと同じくらいだった。

 

私は古文書から顔を上げ、ドアに殺到する彼らをぼんやりと見ていた。彼らが急ぐのはまったく不思議ではない。ほとんどの生徒にとって、この一時間がクラスメイトたちと自由に過ごせる唯一の時間だからだ。午後からは、工場での退屈な作業が待っている。

 

ブザーから一分もたたないうちに、教室には私しかいなくなった。私はあたりを見回すと一息ついて、古文書にしおりを挟んで閉じた。数日続いた雨のあとの、よく晴れた秋の日。普段なら、まだ数人は残っておしゃべりを続けているところだけど、久々のいい天気に、みんな気分が上がっているみたいだった。

 

私はカバンから弁当箱の包みを取り出した。包みを開くと、場違いに冷たい金属の感覚が手に心地よかった。小さいころ、工場で出た端材を使って父が作ってくれた弁当箱で、その無骨な見た目が私のお気に入りだった。蓋をあけると、温野菜の鮮やかな色が目に飛び込んできた。中身は毎日、ハヤキおじさんが作ってくれていた――まだうちの工場が小さな町工場だったころから、変わらず勤めている作業員だ。

 

私は、ひとりで弁当をかきこんだ。

放課後を一緒に過ごす友達なんて、私にはいないから。

十二歳で、この学校に入ってからずっと。

  

確かに私は、社交的なほうじゃない。でも、だいたいの子は、それでも誰かと仲良くやっている。私に友達がいない理由は、それ以外にある。

 

私にしかあてはまらない理由が。

 

答え。私は、あの《古代人》、アスカの娘だから。

 

母、アスカは有名な古技術学者だ。古文書を読み漁り、まだ実現されていない古代技術を見つけて再現する。実力がものを言う世界、その中でも、母は相当のやり手らしい。「アスカさんのすごいのは、莫大な古文書の中から実現可能なものを見つけ出す嗅覚だ」――と、母を訪ねる学者たちは口々に言う。「まるで古代を生きていたかのようだ」と。これが、母が《古代人》と呼ばれる理由のひとつだ。

 

実際、母が「発見」した古代技術の数は、他の学者とは段違いらしい。そのおかげで、小さな町工場だったらしいうちの工場は、三百人もの作業員を抱える大工場へと発展したのだ。

 

一方で、母は……つまるところ、変人、として知られている。《古代人》の二つ名のもう一つの理由、それは、母の価値観が誰にも分からないことだ。

 

例えば、こんなことがあった。ある新人の作業員が、母に頼まれて図書館に古文書を取りに行った。作業員は言われた通り、正しい古文書を持ってきた。しかし、その古文書を見て、母は激怒した――あとで父から伝え聞いたところによると、図書館にはその古文書が二部あり、表紙に茶色いシミがついている方でないと母は読む気がしないらしかった。

 

また、こんなこともあった。母が「発見」した古代技術が、製品化されて発売される日。取引先も含めた記念式典の会場から、母はふいに姿を消した。

 

なんとか探し出して連れ戻すと、母はこう言った。「この機械は、古代の姿ではないの。うまくいかない部分があったから、私が勝手に修正した。でも今朝、正しいやり方が分かったの。だから、まだこれは未完成。発売は、できない」取引先の人たちは必死で母を説得しようとしたが、かなわなかった。発売は急遽取りやめになった。

 

うちの工場は大きいから、どの家庭も、何らかの形でうちと関わりを持っている。だから、ほとんどのクラスメイトの親が、私とは深くかかわらないように言っていた。権力を持った変人の娘。そんな人とは、付き合わないのが吉。

 

私は弁当を食べ終わると、また古文書を開いた。もし私が、《古代人》の娘でなかったなら、私はあの輪のどこかにいたのだろうか? 母のことは好きだ、母に渡された古文書を読み解く生活もまた。でも、もし別の人生がありえたなら?

 

近くの工場から、作業員たちの号令が聞こえた。私は孤独を我慢すべきなのだろうか? それとも、《古代人》の娘とは、恵まれない役割なのだろうか?

 

開け放されたままの教室のドアから、ひとひらの落ち葉が舞い込んできた。古文書の内容をよそに、私の頭は、鬱々とした感情にどんよりと埋め尽くされていた。