昨日から、新しい文体を試し始めた。
こんなふうに、一行ごとに改行していく文体だ。
せっかくの試みだし、ためしにしばらくはこれで行こうと思う。
これはわたしの日記、なにを試そうがわたしの勝手である。
とは言ったものの。
この文体ではたして、なにを書けばいいのか。
せっかくなら、こうしないと書けないものが書きたい。
これまでの文体には似合わない内容を書きたい。
使える文体を増やすことを、そのまま表現の幅を広げることに直結させたい。
だが。
この文体でなにができるのか、その肝心なところがまだ、全然分からないのである。
こまめに改行をはさむことが、いったいどんな表現上の効果を持っているか。
この特殊な文体が、いったい文章にどんな空気感をもたらしているか。
分からないとは言った。
だが、仮説がまったくないわけではない。
まず。
第一に、改行は勢いをもたらす。
文章のテンポが良くなる。
読者はきっと、精読の代わりに、スピード重視で読み流すようになる。
多少分からないことがあっても、きっとスルーして続きを読む。
こう言うと悪いことのようにも聞こえるが、そうではない。
文体の目的はあくまで、読者を特定の方向へと誘導すること。
ざっと読み飛ばしてほしい文章だって、きっとこの世にはある。
だから、ざっと読み飛ばしてもらえる文章を書くのだってまた、れっきとした執筆技術と呼べるはずだ。
第二に。
改行には、意味上のつながりを断ち切る効果がある。
意味上のつながりが切れるところに改行をはさむという文章のルールを、ある意味逆手に取った形だ。
たとえ内容がつながっていても、行が分かれていれば、読者にはなんだか話題が切り替わったような印象を与える。
逆に、論理のつながりが希薄でも、気にならなくなる。
だからたぶん、この文体は、なにかを短く書くのに向いている。
従来の文体だと説明する必要があったことを、いちいち説明しなくてもよくなるからだ。
そういえば、論理展開に説明が少ないことを指してよく、「行間が広い」という。
改行すると、行間が広くなる。
この場のようなネット媒体では実際に行同士の距離が伸びるから、文字通りの意味にとることもできる。
くだらないけれど。
なんだかちょっと、面白い。
閑話休題。
書いたものを見返してみる。
するとまるで、散文詩かなにかのような印象を受ける。
なぜか。
たぶん、ここまで改行の多い文章は、ほとんど詩でしか見ないからだ。
じゃあこれは散文詩なのか。
ある意味では、そうかもしれない。
といっても。
散文詩と文章の違いを聞かれて、ぱっと答えることはできない。
そもそも散文詩とはなんなのか。
分からない。
でも一応、これまでの考察から類推すれば。
散文詩とは、勢いよく読める、行間の広い文章のことなのかもしれない。