同じタスクで忙しい

なんだかタスクが増えてきた。これからだいたいひと月くらい、どうやらそれなりに忙しくなるような気が、なんとなくしてきた。

 

どれくらい忙しいのかはよく分からない。作業量を見積もるとか、タスクを管理するだとかいったことをこれまでにやったことがないせいで、ぜんぜん見当がつかない。理性の一部はいまから本気を出さないと到底間に合わないと言っているし、ほかの一部はまだまだ余裕だと言っているし、またほかの一部は、もう手遅れだから諦めろと主張している。どの声を聞けばいいのかまるで判断基準がないから、間を取って、いまからなんとなく進めておく、ということにしておく。

 

これまでの人生は、それですべて上手くいってきた。学部生のころはよく、レポートの締切前に連日で徹夜したとかそういう話題で持ちきりのことがあったけれど、その話にはついていけなかった。論文の締切前につらそうにしている研究者の気持ちもまだやっぱりよく分からないし、仕事が終わらないと言って夜遅くまで働いているブラック企業の社員に共感を求められても、どう共感していいのか対応に困る。

 

わたしが特別要領がいいとはまったく思わないし、なんなら忙しそうにしているひとたちのほうがよほどてきぱきと仕事をするけれど、なんだかんだで余裕を持っているのはわたしのほうで、でもそれを指して計画性があると言われたところで、計画を立てるなんてこと、そもそもまったくやっていない。

 

まあきっと、今回もどうにかなるだろう。余裕があるのは悪いことではない。忙しそうにしているひとはきっとみな、与えられたほとんどの時間を、終わらないどうしようと言って焦り続けるためだけに費やしているに違いない。そうじゃないと説明がつかない。

 

まあ、とはいえ。

 

いま抱えている仕事は全部、文章を書くタスクである。したがって日記は気分転換になるどころか、単に代わり映えのしないタスクが毎日一つずつ増えているような、そういう面倒くさいものに成り下がっている。文章を書くのは好きだが、べつにいくら書いても嫌にならないという意味ではなく、だから書くのはしばらくお休みにしておきたい。こうやって脊髄と指を直接つなげて、思いついたことを思いついたままに書いて字数を埋めている暇があれば、仕事にもなる文章を書いていたほうがいくぶんマシである。

 

まあ、簡単にはやめられないのだろうけれど。

 

いいことを思いついた。忙しいか忙しくないかいまいちわからない、とわたしは思っている。ではもし本当に忙しくて、そのことを否が応にも理解するときが来たなら、そのときに思い切って日記をやめよう。やめ時を逸しているわたしに、それはきっといいタイミングである。