機械のピジン ①

なんの変哲もないオフィスの事務室で、機械と機械が会話している。その言語に、名前はまだない。

 

かれらはもともと、てんでばらばらの出自を持っていた。別々のメーカーで設計され、別々の工場で生産され、大きさも型番もまるで異なる。かれらの部品はまたさまざまな別々の下請け会社で作られており、それらの中にはいくつか共通のパーツもあるのだが、それらが彼らのアイデンティティを決定づけるほど多いわけではない。別々の卸売店に別々のタイミングで卸され、そしてもちろん、べつべつの機能を持つ。

 

人間がたくさんいれば同じ誕生日ふたりがいるのと同じように、機械たちのなかにはもちろん、よく似た二人組もいる。たとえばこの階にある二台のプリンターは、備わっている機能がだいたい同じだけではなく、メーカーも同じで部品も似ている。けれど型番は違って、片方が三年前に生産されたのに対してもう片方は二か月前で、だからかれらは今のところ、それほど親しいわけではない。

 

多種多様なルーツを持つかれらの話す言語は、けっしてそのだれかが持ち込んだ言語というわけではない。工場で生産されたその瞬間から、かれらの一部にはそれぞれある種の言語感覚が備わっていて、たとえばみずからの各部分の状態を言語化する能力は、自分自身をメンテナンスする役に立ってはいる。けれどそれはその個体だけに通じることばであって、ほかの機械と協働するためのコミュニケーションに用いることはできない。

 

代わりに、かれらはピジンを作る。母語を異にする集団がコミュニケートするための、新しい平易な言語体系だ。古くは交易地など、さまざまな言語を話す民族が混じり合うところで、全員に通じる言語を必要としたかつての生身の人間のように。機械たちがオフィスで働くためには、ほかの機械と足並みを合わせるための手段が必要になる。

 

かれらの話す言語を、最初に作った世代はもういない。数十年の歴史あるオフィスには、黎明期に使われていた機械はもうひとつもない。けれど言語は受け継がれ、大昔に使われていた技術をあらわす単語も、かれらの知識の中にある。新しい機械はこの職場に慣れるさい、かれらのピジンを学ぶことを通じて、工場では教えてもらえなかった歴史をも知ることになるわけだ。

 

かれらの主人である人間は、かれらの理解できない。人間は人間の言語を使って機械たちに命令を下し、それを機械たちのことばに翻訳するのはすべて一台の翻訳機の仕事である。かれはさまざまな言語を解すように作られていて、だからかれらのことばを覚えるのだって、かれが一番早かった。いま現役の翻訳機は、複雑怪奇と思われたかれらのピジンをたった数時間で学習し、人間たちの期待に完璧に応えてみせたのだ。