メタ構成

感覚をわしづかみにして、読者の存在を揺さぶるような一文を、ここに入れる。

 

あるいは、共感。幼少期にだれもが経験した喜びや寂しさ、その普遍性の例示。世界が奇妙であるがゆえに発生した、だがわたしたちの心の奥底に横たわっているものとある意味で同質な情景。この世界の異様さについて説明は与えず、だがその異様さそのものを、どんな理屈による説明よりも激しい景色をもって投げかける。読者の頭に浮かんだクエスチョンマークが多ければ多いほど、それは適切な表現だ。まず疑問を与えよ、そして解決を与える前に、別の疑問で脳を塗り替えろ。

 

読者の頭は簡単にはパンクしない。いたるところが意味不明でなければ、読者は解釈を始めてしまう。矛盾しない文章があればあるほど、読者は正気に戻りやすくなる。それではダメだ、ダメダメだ。異様な情景を前に、疑問を差し挟む暇を与えるな。解釈不能な事項の洪水で、理解しようという野望を押し流し、打ち砕け。

 

そうしてあらかた読者を絶望させきったところで、物語は動き出す。まず初めにやることは、ぶっ壊した読者の脳内に新しい街を作ることだ。最初のステップが上手くいっていたなら読者にはもうなんの先入観も残っていないはずだから、その跡地には自由に世界を築き上げることができる。まっさらな頭に、すべての暴論を受け入れるようになった頭に、へんてこな理屈と屁理屈の塔を建立せよ。

 

新しく作った街は、都合よく整然としていなければならない。再建作業と称して作者は自分の世界の仕組みを説明するわけだが、それは最初と打って変わって理路整然としている。先ほど見せた世界の論理的存在根拠、ビジョンがビジョンで終わらないことの説明。分かりやすければわかりやすいほど街並みは整理され、物語を展開しやすい街がそこに生まれる。最初に与えた疑問のほとんどを解消し、読者がその後の話に集中できるよう補助する。

 

その街に、事件が起きる。

 

そこまでが話の冒頭である。世界設定を見せ、説明し、変化の予兆を与える。これ以外の順番はありえない、そうすればへんてこになってしまう。論理的な説明から入ればひとは世界の実在性を錯覚しない、だからその後に世界を描写しても、変な仮定の下に成り立つ人工的な世界だと思う。変化の予兆を最初に与えてはいけない、なぜなら変化前の世界を読者は知らないから。そこまでの構成はかなりの物語に共通のもので、だからこうして一般化して語ることができる。

 

そしてそのあとは、正直、よく分からない。その後が物語の本体だから、つまり物語の構成について、わたしはほとんど全然分かっていない。