わたしたちは怒られるべきだ

基礎分野の研究者でしかないわたしたちが、この研究はこういう分野への応用が考えられるのだと取ってつけたような言い訳をしているあいだ、とうの応用分野のほうはおそらく、わたしたち素人の話などろくに聞いてはいない。わたしたちの提案は当然ながら非現実的で、浮世離れしていて、おそらくは基礎研究の唯一のよりどころである、実際に解きたい課題の本質を抜き出してとらえるということすら、まったくできていないのだろう。

 

考えてみれば当たり前のことである。わたしたちが応用を語るのはあくまで論文を通すためであり、要するに査読者を満足させるためであり、そして査読者とはわたしたちと同じ、基礎の研究者。わたしたちの目は最初から応用のほうなど向いておらず、ほんとうに実用性があるかどうかなど真面目に考えたこともなく、ただ基礎の研究者という別の素人を納得させるために、子供だましのストーリーをこしらえているだけなのだ。

 

一歩引いて考えてみれば、わたしたちはずいぶんと無礼なことをやっている。現実にコミットしたいと真面目に研究を進めている人間の横で、その分野で一度も手を動かしたことのない人間が、自分たちの理論的興味から考えたへんてこな物体を手にして、こんな仕組みを使うのはいかがかなと騒いでいる。そしてその横で同じく何も知らない素人が、なるほどそれは素晴らしいですねとか言って、何の役にも立たないがらくたに意味不明な評価を与えている。

 

たいていの場合、わたしたちの営業は無視される。営業をしたという実績を作るのが目的なのだから、それで構うまい。だがかりに実務家がおそるべき寛大さを見せ、わたしたちの戯言に耳を傾けてくれたとしよう。するとわたしたちは、たったひとつの側面を除いて実応用とは似ても似つかぬ、わけのわからない定義を用いたわけのわからない理屈の話を、滔々と語ってみせることになる。

 

そしてめったにないことだが、飽きられることも脱落されることもなく、実務家がその話を理解したとしよう。実務家は応用上しごくもっともな疑問を唱える――応用上はこんな課題があるが、それにはどう対応するか。そんなこと考えたこともないわたしたちは、あまりになにも分からないから、逆に待ってましたとばかりに万能のお題目を唱えるわけだ。その点は、今後の研究の進展に期待することにしましょう、と。

 

そりゃあ、怒られても仕方ない。だからそろそろ、怒られるべきだとわたしは思う。