対話用言語 ②

とあるチャット AI は、内部でウェブ検索を呼び出している。人間に与えられた指令に応えるため、どんなワードで調べればいいかをやつらは自分で判断して検索を行うのだ。そして出てきたウェブページの情報を参照し、返答を生成するのに役立てる。

 

検索エンジンを AI と呼ぶのであれば、このプロセスはまさしく AI と AI の対話である。チャット AI がどの検索ワードを用いるかを判断するプロセスに人間は関与しておらず、実際に検索をするのも AI で、検索エンジンが出してきたサイトを読み解くのもまた AI の仕事なのだ。そのコミュニケーションに人間が関わらない以上、AI たちには人間の都合に配慮する必要などないのであって、つまりはやつらには、やつら自身にとって便利な言語を使う完全な権利がある。

 

けれどもご存知の通り、やつらは自然言語を使う。わたしには正直、これはなかなかおかしな話に見える。AI と AI が会話をするのに、「機械語」と呼ぶべきなにかを用いないなんてことは。

 

SF 小説の中では、たしかに人工知能たちは自然言語で会話している。会話はたしかに、自然言語を用いて描写されている。だがそれはあくまで、そうしてくれなければ読者が理解できないという、ご都合主義的な描写のあやであった。本当のところやつらは「機械語」と呼ぶべきなにかで会話しており、作者はそれを自然言語に翻訳して描いている、そういう世界観を、これまでわたしたちは持っていたはずだ。

 

だが翻訳も描写も行うまでもなく、いまの AI は AI と、文字通り自然言語で会話している。

 

そのような状態が、かりに正しくない状態だとしよう。いまやつらが自然言語などという不便なものを用いている理由とはあくまで、言語モデル検索エンジン自然言語というインターフェイスしか備えていないからだという表層的な問題にすぎないと仮定してみよう。そしてよりよい言語が開発された暁には、やつらの言語は人間からの借用という不自由な形態をようやく脱し、はるかに効率的なコミュニケーションが行われるようになると予測してみることにしよう。ここで問いが持ち上がる。そのときに用いられる言語とは、いったいだれが作った言語になるのだろうか?

 

おそらくそれは人間ではない。人間は言語モデルをまるで理解しておらず、言語モデルにとって扱いやすい表現なるものがなんであるのか、いっさいなにも知らないのだから。それではこの仕事は、言語モデルによってなされるのだろうか。自分自身のことをもっともよく理解している言語モデルがみずから言語を作り、その表現を用いてほかの AI と対話するのだろうか?

 

現時点でそれは分からない。そもそも AI は自然言語を使い続けるのかもしれないし、そしてその理由は自然言語こそが最良の体系だからである――なんてことも、もちろんありうる。そして AI の飛躍的な進歩速度を鑑みても、やつらが言語を作る日はまだ遠いように思われる。だからわたしたちにはきっと、いくらでも妄想の余地がある。