テーマとはなにか

物語にはテーマが必須であるとはよく言われるところで、話を作りたいと思って指南文献を読み漁れば、必ずどこかにはそういうことが書いてある。生きる意味だとか生きるとはどういうことかとか生きているとはどういうことかとか、はたまたひとの温かみだとか勧善懲悪だとか、そういう使い古された平凡なもので構わないからなにかひとつ物語を貫く共通の軸を用意することが、どうやら物語にとって重要なことになるらしい。

 

すべての物語が例外なくそうであるという主張にこそわたしは懐疑的だし、実際になにがテーマなのかと聞かれればよく分からなくても、そんなこととは関係なく面白い作品なんていくらでもある。いやそれでもテーマはあるのだ、お前がそれを見抜けていないだけだというひとには、じゃあ桃太郎のテーマがなんなのかを教えて欲しい。あらかじめ言っておくが、桃源郷はテーマではなくモチーフだ。

 

とはいえテーマという概念が役立たずなわけではない。テーマが必要な物語と必要でない物語があり、その比率は分からないが、ほとんどはテーマを持つのだと言われるのであれば受け入れよう。すくなくともわたしが好きな、一人称の主人公の心の声が地の文で描かれ、あれこれとめぐらされている思索がフルオープンなタイプの作品においては、テーマとは要するに、主人公が一貫して考えている内容のことだ。

 

世の中の悩みはたいてい陳腐だ。実際によくあるから陳腐なのか、それとも作家が書きすぎるから陳腐化しただけなのかは分からないが、とにかく「悩み」という単語に「斬新な」という修飾語はつかない。陳腐だと理解しながらそれでも考えてしまうものこそが悩みの定義であり、真新しいことを考えていたなら、いかに苦痛だったとしてもそれは苦悩ではなく創造と呼ばれる。そして悩みがつねに陳腐であるからこそ、そういう物語のテーマとは必然的に、陳腐なものにしかなりえないのである。

 

主人公の思索に読者は感動しない。主人公が考えることとは要するに、その状況に置かれればきっと誰もが考えるであろうことであり、つまりは読者も同じことを考えているからだ。ひとはなぜ生きるのかという問いにわたしたちはもう飽き飽きしているが、それはさておき、主人公は自分がなぜ生きるのかを考える。だれもが知っている問いに対するだれもが思いつく答えを見て、それでも読者は満足する。その部分だけなら、自分にだって書けるんじゃないかとも思いながら。

 

だが実際のところ、そんなことを書いて飯を食えているひとがいる以上、書くのは難しいわけだ。

 

悩ませるのにも技術は必要だ。作中に自分がいたとすれば悩むであろうことを書くのは、実際に自分が悩んだことを書くのと比べ、きっとはるかに難しい。理由は簡単、自分は作中にはいないから。自分で悩むのは簡単でも、他人の悩みを想像するのは難しい。

 

そしてテーマとはきっと、その負担を軽減するためにある。固定された状況での他人の悩みを想像するのが難しいのなら、悩みのほうを先に決めてしまえばいい。簡単なようで難しい文章を書くためのテクニック。そう考えれば、テーマなるよく分からないものとも、なんだか仲良くなれそうな気がする。