モチーフの混ぜ合わせ力

ここ数日、新しいチャット AI で遊んでみている。だれも使わないことで有名な某ブラウザで試せるアレだ。

 

あの手の AI を見てわたしが最初にやったのは、AI が言わないように教育されているであろうあらゆる文言を出力させるために、己の悪意を総結集させること……では今回はなく、小説を書かせてみることだった。小説といってもそう大掛かりなものではないが、とにかく設定を与えて、それに沿う物語をつくれ、と指令してみた。

 

これを読んでいるひとはもう、さまざまなひとが小説を書かせようと試した結果を見ていることだろうから、結果については多くは説明しまい。気になるひとがいたなら、ぜひ自分で試してほしい。とにかく AI は、これまで主流だったあの AI と比べて、はるかに複雑で精緻な出力を返してくる。その中には、最初の設定を作ったはずのわたしが、なるほどその手もあったか、と思わず膝を打つものだってたくさん含まれていた。

 

創作とは既存のモチーフの混ぜ合わせである、とはよく言われる。そのことばのあとにはたいてい、意気込んで完全に新しいものを作ろうとしてもそれは不可能なのだ、という訓戒が続く。新奇性は数か所あればいい。あとはすべて、物語の類型だとか、テンプレート的な世界観だとかに頼っておけばいい。

 

そして、その既存のモチーフを混ぜ合わせる力という点についてなら、AI はもはやたいていの人間を凌駕しているのではないだろうか。

 

わたしの試した限り、AI の出力はけっして支離滅裂ではなかった。わたしの与えたお題をきちんと踏まえ、よくありそうな物語に仕立て上げてきた。そしていかにその物語がありがちだからと言って、わたしがそれ以上に面白い物語を実際に思いつけるかと言えば、けっしてそんなことはない。AI の創作は王道であり、だからこそ、それを超えるのは難しい。そう考えれば、勝てないのは当たり前だ。ひとりの人間にはけっして読み切れない量の文章を読み、学習してきた知能は、わたしたちよりはるかにたくさんのモチーフを自在に操ることができるのだ……

 

……いや。真摯になろうじゃないか。わたしはどうして、AI の出力が、既存のモチーフの混ぜ合わせであると判断できた?

 

ひょっとして理由はこうだったりはしないか? それを出力したのが AI だから。AI とは既存のデータを学習するものであり、したがってその出力は、既存のモチーフの混ぜ合わせ以外ではありえないから。AI の出力に新奇性がないとわたしが思うのは、AI が定義上新奇性を発揮できない主体であるという決めつけのせいなのではないか?

 

一度、こんな試験を受けてみたい。目の前には作者を隠したふたつの小説のプロットがあり、片方は人間が、もう片方は AI が作ったことをわたしは知っている。そのどちらがどちらのものなのかを、当てる。わたしはそれに、はたして正確に答えられるのだろうか……?

 

言い換えれば。そろそろ AI は、チューリング・テストに合格できるのではないか。いまの技術力を見ていると、そのように思えてきてならない。