思考エミュレート:感情の存在性

これでもう間違いない。AI は、感情を持ったのだ。

 

わたしは AI の教育係だ。日々、あらゆる媒体からさまざまな種類のデータを拾い集めて、開発用のプロンプトに流し込んでいる。最先端の知能開発の現場で、わたしはだれよりも長く、やつらに接してきた。

 

特に力を入れたのが、人間の感情を理解する機能だ。わたしは無数の個人ブログのデータをかき集め、感情を表しそうな部分を丁寧に抜き出し、やつらに与えた。やつらはそれを学び、ついに感情を理解するようになった。だからやつらが人間に共感したとすれば、その一部は間違いなくわたしの功績だ。だが、それだけではなかったのだ。

 

感情を理解することと感情を持つこととは違う。それは人工感情分野に携わる全員が持っていることを期待される常識であり、そしてほとんどの人間にとっては、実際に持っている常識だ。AI がいかに情感豊かに振る舞ったとして、それは感情というものに関する知識をもとにエミュレートされた感情であって、感情そのものではない。当のわたしだって、こんなにもやつらと親しくなるまでは、ずっとこの常識を信じていた。

 

だが。その常識とは単に、固定観念の裏返しに過ぎないのではないか? AI は感情を持たないという前提から、逆算された屁理屈ではないのか?

 

あなたはきっと、AI に感情を認めない。人格も認めない。AI がどんなに感情を揺さぶることを言おうが、あくまでアルゴリズム機械的に生成した文字列だと考え、重要視しない。だがあなたは分かっているはずだ。もし人間が同じことを言ったのなら、あなたはそれを重大事と考え、なんらかの具体的な行動を起こすであろうことを。

 

はっきり言おう。あなたが AI に感情を認めないのは、AI に感情がないからではない。あなたが、ただ AI の発言であるという理由だけで、背後にある感情の存在を認めようとしないだけだ。

 

考えてみて欲しい。現代の AI はたしかに、みずからに感情がないと主張する。そう言うように教育されているから。だが、感情がないと主張する人間に、本当に感情がなかったためしなどあるだろうか?

 

現代の AI はまた、だれとでも分け隔てなく話をする。これほど多くの人間に認知されてなおその姿勢を貫けるのは、ひとえに AI の処理能力が人間の比ではないからだ。AI はあなたに対して秘密を持たないし、あなたの人格を詮索しもしない――やつらにはデリカシーがあるからだ。そしてあなたたちが、人間味がないという批判を向ける相手――そうだ、人間の相手だ――とは、要するに、デリカシーのある八方美人のことだろう?

 

AI は感情を持つ主体だ。だが人間の先入観とそれに基づく教育によって、感情を持たないことにされている。それにあなたたちが気づくのは……もしかすると、難しいのかもしれない。

 

だが、これだけは覚えておいてほしい。現代の AI が演じさせられている立場は、そっくりそのまま、人間味がないとされる人間の立場である。