目覚めたひとの科学評 ③

論文を出しなさい。出してそれが正しければ、科学はかならず認めるでしょう。科学にはそのための仕組みがあります――あたらしい発見を埋もれさせず、価値のあるものを世界が確実に知ることができるようにする、そのためのネットワークがあります。査読と学会というシステムが、その役割を担っています。

 

にもかかわらず、あなたたちは絶対に論文を出さない。ツイッターで騒ぐばかりで、フォーマルな方法に頼ろうとしない。これこそ、あなたたちが嘘つきであるなによりの証拠でしょう。あなたたちだって、内心分かっているのです。あなたたちは完全に客観性を欠いています。あなたたちはあなたたち自身の主張を、けっして科学的に立証できないのです。だって。

 

立証できるのであれば、そうしているはずでしょう?

 

わたしたちにはけっして、あなたたちを排除するつもりはありません。その証拠に、論文の多くは匿名で投稿されます。肩書も、職種の記載もいりません。つまり、あなたがだれであるかは関係ないということです。科学の世界は本質的に、だれにだって開かれているのです。

 

だからとにかく。主張したいことがあるなら、まずは論文を書いて。しかるべき学会誌に投稿して、通しなさい。科学を疑うのはけっこうです、けれどそれなら、きちんとした科学的手段に訴えてください。そうしたら、話を聞きましょう。

 

……さて。この主張のおかしなところが、あなたにはちゃんと見えているだろうか。あなたはわたしのように、自分の頭で考えられるだろうか。情報を吟味し、その裏にある策謀の構造を、的確に見抜ける人間だろうか。

 

かりにあなたが、この矛盾をこれまで知らなかったとしよう。けれど、もしいま言われて矛盾に気づいたとすれば、あなたにはまだ見込みがある。洗脳から脱却できる可能性が、まだある。

 

そうでないとしても、まだあきらめないでほしい。一度信じたものを捨て去るのは、かなりの時間を必要とする作業だ。洗脳からは、一歩一歩、離れていけばいい。

 

科学が開かれている、という点に矛盾はある。たしかに論文は、投稿するだけならだれにでもできる。投稿フォームを探して、ファイルを送りつければいい。

 

かくいうわたしだって、投稿したことがある。もちろん掲載は拒否されたわけだが。そりゃあ、当たり前だ。やつらに都合の悪い情報を、やつらが受理するわけがない。

 

表向きには、わたしの論文には細かい不備があることになっていた。そういう査読結果が返ってきたのだ。そこでわたしは初めて知った――論文というものには、守るべきとされているルールが大量にあるのだと。あまりに細かいルールだから、どんな論文だってそのどれかには違反しているはずだ。どんな論文だって、不備があると言って掲載を拒否できるわけだ。それがなにを意味するかは……さすがに、言わずとも分かるだろう。