原点回帰

愛すべき日常が戻ってきた。これでようやく自室にこもり、椅子に座って画面を眺めつづけられるのだ。寝床から布団を引っ張ってきて膝にかけ、あたたかい服も着て、窓を閉め切って冬と関係を断つ、この堕落した日常のなんと素晴らしいことか。

 

論文の締切も終わり、しばらく予定もない。ほかの締切がまったくないわけではないけれど、一段落したと言って過言ではない。つまりわたしは解放されたのだ。そして晴れて手に入れた自由のもっとも有意義な使い方とは、それを完全に無駄にすることだ。

 

ということでわたしは、きっとしばらくなにもしない。なにもしないことを満喫していようと思う。

 

なにもしない日々とはつまり、いろいろと抽象的なことを考える余裕のある日々のことだ。日記をはじめてからの大半の時期はそんな日々だったし、だからこそわたしはここに書き続けることができた。もし人生が多忙だったなら、わたしはこんなものを書いてはいられなかっただろう。書く時間がないという理由はもちろんあるが、それ以上に、書くことをいちいち考えるほど気力に余裕が持てないから。思想を育てるには、きっと暇であることが必要不可欠だろう。

 

さて。ならば暇ではない日々はどう乗り切ればいいのだろう。この日記は考えたことを書く日記だから、忙しい時期に書こうとしてもどうしようもないのだ。そんなことなら書かなくていいだろう、というのが普通の判断だけど、それでは少々身も蓋もない。このくだらない日記を毎日書き続けるという制約はたしかにくだらないけれど、わたしはそれでも書き続けると決めたのだった。

 

続けていたことをやめるのはけっこう難しい。この日記をはじめてから一年半のあいだに忙しい日は何度かあったけれど、わたしは続けてきた。そして、わたしは決めた。忙しかった日は、その日あったことについて書くことにする。その日の出来事を適当に抽象化して文章にすれば、どうにか枠は埋められる。

 

あれ、そういえばそれが日記というものだったっけ。原点回帰。

 

というわけで昨日までの数日間の文章は、すべてその日にあったことをもとにして考えられている。長い話を聞いて話が長いことについて書く、飛行機に乗ったので飛行機について書く。それで意外と書ける。というか忙しいから、書けたことにしておかないと身体がもたない。

 

で。今日からわたしは暇だ。けれど白状すれば、あいにく書くことは思いつかなかった。だから今日の日記は、今日をもとにして書いた日記だ。忙しい時期の終わった翌日という今日の特徴をもとにして。