移動疲れ

おかしい。何もしていないのに、疲れる。ちょっと早起きして電車に乗って、ちょっと手荷物を検査されて、飛行機に乗り込んだらあとはずーっと座っているだけなのに、なぜだかすごく、疲れる。

 

きっと信じてくれるだろうけれど、本当に何もしていないのだ。座席は快適だったし、機内食もまともだった。時差も全然ない。変な気を起こして、空き時間がたくさんあるから何か有意義なことをしようと張り切って、インターネットのない長時間を満喫しようとなんて、してない。いや、最近はネットもあるんだったっけ。まあ、そんなに関係のない話。

 

国際経験はそれなりにあるから、移動が疲れるものだということはよく知っている。国際線の機内でできることといえばせいぜい、寝よう寝ようと奮闘するか、ただ黙ってフライトマップを見つめ続けているかくらいだということだって、しっかり経験から学んでいる。時間の無駄なんかじゃあない。だってその時間はずっと、移動というれっきとした目的のために費やされている。

 

でも、なぜなのか。それがわからない。なにもしていないのに、なにもしないことを選んでいるのに、どうして疲れるなんて羽目にあうのか。

 

距離に応じて疲れが溜まるなんてフライトマイルみたいなシステムに人体がなっていないことは、さすがにわかる。飛行機を降りるたびに思うのだが、ただ座っているだけで言語からなにから違う土地に来ているというのは直感に反する。直感に反するもの、人体が理解しているはずがない。だから、海外だから疲れるわけではきっとない。

 

座るだけで疲れたりはしないってことも、わかる。世のどこでもされているアドバイスのひとつに高い椅子を買えというのがあるけれど、わたしの腰はとんでもない椅子音痴なようで、わたしが生まれる前に家族が数千円で買ってきたらしいビジネスチェアに一年中座り続けてびくともしない。空気が薄いと疲れるというのは……あるかもしれない。でもまあ、こじつけるだけならいくらでもできるから、そんな説明に意味はない。

 

そうじゃなくて、納得のいく説明がほしい。科学的な説明と言ってもいい。なにがどうやって、疲労へと寄与しているのか。なんのためにひとは疲れるのか。移動をやめて定住せよという、文明前の本能のお達しなのか。そもそも、いったい、疲れって、なんなのか。

 

まあわかったところで疲れなくなるわけじゃないんだろうし、どうでもいいっちゃどうでもいいんだけど。でもまあ、こういうどうでもいいことがいちいち気になるくらい、移動ってのは暇なのだ。