正気の説明

「世の中で一番大きな謎とは、人間そのものである」――とある推理小説の中で、探偵の信念として繰り返し語られることばだ。ミステリの例に漏れず優秀なその探偵は数々の難事件を華麗に解決するのだけれど、やはりフィクションの天才の常として欠点があり、長年の右腕であった昔の助手がかなりあからさまな恋心を寄せているのにも関わらず、それには一切気づかなかった。ついに愛想をつかされて逃げられたのが作中舞台の十年前、だがその名探偵はいまだに、その理由が見当もつかずにいる。

 

まあ、こんな作品はない。あるかもしれないけれど、わたしは知らない。本当にちゃんとした文章を書きたいのであれば調べものをしなければいけないところだけど、たかが日記でそんなことをするつもりはない。嘘を嘘と認めたのなら白紙に戻すのが常識的な態度だけれど、まあ面倒くさいので、そういう作品があることにして話を進める。心の中の要出典マークはとりあえず、お約束なりブラウザ拡張なりで隠しておいてほしい。

 

さて。くだんの探偵の言う通り(自作自演で何が悪い)、実際に人間は謎だ。常識でも理屈でもまったく理解できないような行動を取るひとはけっこういるし、ミステリというジャンルはある意味、それを鑑賞するためのジャンルでもあるだろう。凶悪な犯罪行為という、普通に生きていたらまずしないであろう行動を取る犯人という役柄を通じて、人間の不思議さを追体験する。そういう小説もドラマもある。

 

犯人の正気の度合いはピンキリだ。経済的情緒的に困窮し、絶望的な状況に追い込まれ、否応なくひとを殺す犯人。特殊な経歴から普通でない信条を持つに至った狂信者。殺人そのものをゲームととらえ、ただみずからの欲望のままにひとを殺す、どこか吹っ切れた愉快犯。これらすべての可能性を探偵は疑い(なにせこのどれなのかは解決まで分からないのだ)、動機を推理し、犯人と犯行経緯を言い当てる。言い当てるのが探偵の仕事だ。

 

狂気をも探偵は、理解しようと試みる。それに共感はしなくとも、筋道だった理屈は与えようとする。作中の聴衆は推理を聞き、犯行のすべてを理解する。そしてその説明は同時に、そのままミステリの読者へと向けられている。狂気は狂気ゆえに、説明されねばならない――説明されなければ分からないものこそが、狂気の定義なのだから。

 

そういう意味で狂気とは逆説的に、理解するためのものなのかもしれない。ありふれていないがゆえに、理解しようと目指すものなのかもしれない。目指すことが正当化されるものなのかもしれない。その反面、正気はどうだろう。

 

話は冒頭に戻る。みずからに寄せられていた恋心という正気を、探偵は理解できなかった。数々の狂気を理解してきたのに、そればかりは誤解していた。作中では(繰り返すが、そんな作品はない)、探偵は助手のことばを頑なに冗談だと信じ続けている。そしてそれは、もっと苛烈でひとの死に至るような、そんな恋愛感情を探偵が見過ぎたからだとされている。そしてそれは、こうも言い換えられるかもしれない。

 

助手はあくまで、ずっと正気だった。そして正気とは、事件のトリックと違って、説明することを許さないものなのだ。