これ以上どうやって体力が

若い頃にはあたりまえのようにできていたことが、歳を取るとできなくなるとは言われるけれど、いったいなにができなくなるのだろうか。そういうことを言うときひとはきっと若いときの無茶話を持ち出して、ほれ若い子はいいねぇだとか、こういうことができる期間は案外短いから心しておきなさいだとか言ってくるわけだけど、わたしはべつになんの無茶もしていないんだよ。そんなことを言うとまず間違いなく、若者は無茶を無茶と考えていないものだよと返ってくるのだけれど、深夜まで飲み歩くとか徹夜で仕事をするとか、そういう経験も習慣もあいにく持ち合わせていないんだ。

 

むしろわたしには、周りの大人の体力のほうがすさまじく見える。一日八時間か場合によってはそれ以上働く。家に帰れば子供がいて、文句を言われながら相手をする。週末は休ませてもらえるかと言えば全然そんなことはなく、子供の好奇心に合わせて旅行なり遊びの予定なりを組立てる。どう考えたって忙しいし、いまのわたしにはとてもできそうにないんだけど、それをできる大人とはいったい。歳を取ると体力がなくなるって言ってきたのはあなたがたのほうじゃあありませんか。十分あるじゃないすか。なにを自分だけ、バリバリ働いてんすか。

 

えっと、べつにわたしは自分に特別体力がないとは思っていないです。確かに長距離走は遅いし、登山も水泳も苦手だけれど、まあそれだけです。だからきっと、同じことを考えているひとはたくさんいると思います。これ以上体力がなくなるってったって、どうなくなるのかと。なにか対策を打とうってったって、なにをすればいいんだと。

 

もしかするとわたしはまだ自分の限界を知らないのかも。なるほど確かに、徹夜のせいで身体が言うことを聞かなくなったのなんて高校生の頃、合宿の夜にはしゃぎ過ぎたときが最後だ。いまのわたしは忙しくないし遊びもそんなに好きじゃあないからわざわざ体力の限界に挑戦しようと思わない。で、いまのわたしはカラオケオールくらい実はしようと思えばできるのだけど、しようと思ったことがないからできることを知らない。歳を取ると確かにできなくなるけど、もともとやらなかったことができなくなるだけで、わたしはそれに気づかない。そういう可能性はあると思います。というか社会がどう回っているかを考えれば、そうであってくれないとつじつまが合わない。あと単に、そうじゃないと困る。

 

とはいえ困ると言ったところでどうにかなるわけではない。もしただでさえないこの体力がさらに落ちて、とてもまともな生活など送れなくなるのならば、その前に対策をとっておかなければならない。けれど負荷を極限まで切り詰めた、生活の最楽プランですらきついとなれば、選択肢はひとつ。サボること。労働中に昼寝したり、その他もろもろ。

 

で、わたしは自分が標準と比べてはるかに体力的に劣るとは思わないから、世の中とはきっと、各自それなりのサボり方を見つけて成り立っているんだろう。こう考えるのには自分を正当化というする目的もあるけれど、そもそもそう信じておかないとつじつまが合わない。