ログインボーナス

新しくなにかをはじめて、寝る間も惜しむほどにのめりこんだけれど、熱が冷めたらそれっきりということがある。そうかとおもえば、はじめたてのころは面白さがさっぱり分からなかったことが、意外と長続きしてしまうこともある。何事もやっているうちに面白さが分かってきたり嫌な点が出てきたりするもので、新しい趣味が長続きする趣味になるかどうかは、実際に長く続けてみるまで分からない。

 

けれど続けたり続けなかったりする理由は、必ずしも面白さではないかもしれない。たぶん多くのひとが経験していることだと思うが、やれば楽しいと知っているのになぜか食指が動かないといったことは往々にしてある。逆にもう飽きたと思っていても、日課になっているせいで細々と続けてしまっているものだってあると思う。ちょうど現在のわたしが日記を書きながら、書き続けることのなにが面白いのかまるで分かっていないのと同じように。

 

こんな錯綜した行動を扱う理論はおそらくある。心理学のどの分野がそれに該当するのかわたしは知らないが、きっとそれはよく知られている。そして現代、その結果はふんだんに活用されている――ユーザーにどうやって面白いと思ってもらうかを考えると同時に、どうやって続けさせるかということについても、いたって真剣に考えている会社がある。

 

ゲーム会社のシナリオ通りに行動するユーザーであるというのはなかなか癪にさわることだが、わたしも彼らの術中から抜け出せないようだ。ゲームのログインボーナスは、それが数十円の価値しかないと分かっていても律儀に回収してしまう。逆にいったんほかの用事が差し挟まれば、面白いと思っていた本でもゲームでも、一時的なはずだった中断がすぐに永遠になってしまう。そしてそのたびに、矛盾を突き付けられる。合理的であろう志しているはずのわたしが、みずからの幸福を最大化するという目的に対して、きわめて非合理なふるまいをしているという矛盾を。

 

策略にはまっておきながら、そういう自分を正当化するのはよくない。策略にはまってしまうことを仕方ないと考え、逐一受け入れていれば破滅へまっしぐらだ。結果的にはこれでよかったのだ、ログインボーナスを受け取らなかったという事実はわたしの精神を傷つけるだろうから……などと言った論理で、自分自身を欺こうとしてはいけない。矛盾は矛盾なのだから、わたしは悩まなければならない。

 

けれどその悩みがきっと解消しない悩みであろうこともまた、わたしはよく分かっている。解決不能な問題にくよくよ悩まないほうがいいとはよく言われるが……この場合、きっと悩み続けるのが合理的だ。