ベルリン旅行記

せっかく旅に出ているのだし、たまには普通に日記らしいことを書いてもよかろう。今日は一日、ベルリンを観光していた。

 

ドイツの首都だけあってそれなりに歴史のある街ではあるのだが、ベルリンと聞いてまず思い浮かぶものといえば壁だろう。宮殿や教会や博物館なら他の都市にもあるが、東西冷戦を象徴するあの壁はここにしかない。必然的に、それに付随する歴史も。ナチスドイツの首都としての戦争と虐殺、そしてそれに次ぐ分断の時期こそが、この街が特別な街である理由だとわたしは考えた。

 

というわけでわたしは、戦争から冷戦に至るその時期を象徴する場所を中心に訪れることにした。それとまあ一応、ブランデンブルグ門を。その有名な門ができたのは第二次世界大戦のずっと前だが、冷戦期は壁のすぐ近くにあったせいで、潜り抜けることはできなかったという。

 

さて。ものぐさであまり下調べをしなか……ごほん、どこを行くかを考えながら歩くのも旅の醍醐味のひとつだと考えているわたしは、付近に「ソヴィエト戦争メモリアル」なるものがあることに気づいた。そういうものがあると知ると血が騒ぐ。そういうものを見に来たわけでもあるし、それにその、ちょっと……いや、幼稚な感情をひけらかすのはよしておこう。

 

ブランデンブルグ門へとつづく通り沿いにあるらしいそれを、わたしは最初、靖国神社のようなものだと思っていた。独ソ戦で命を落としたドイツの兵士たちを慰霊しているのだと。ドイツは戦争最終盤、ベルリンでの市街戦までやった。この街には血塗られた歴史があるのだから、そういうものもあるだろうと。

 

けれど。地図を見ながら通りを東へと進むわたしの目に飛び込んできたのは、赤い星の描かれた二台の戦車だった。

 

それがなにを意味するのかはさすがにわかる。モニュメントにはキリル文字で文章が書かれていて、わたしはその簡単なロシア語をある程度読むことができた。大学でロシア語を学んだ経験がこんなところで役に立つとは思わなかった。祖国ソヴィエトの自由のため、ドイツのファシズムとの闘いに殉じた英雄を讃えるその記念碑は、なんとモスクワではなくベルリンにあるのだ。

 

ドイツ人ってすごいな、と素直に思った。

 

もっとも、別にそれが正しいと言うつもりはない。ドイツが国会議事堂のすぐ近くに自国を負かした相手の記念碑を建てたのを見習って、日本も永田町に米兵の記念碑を建てろだとか言うつもりはまったくない。日本にそんなものが建っている様子を、そして日本人がそれと共存している様子をわたしは想像できないけれど、別にできないならできないでいい。国には国の受け止め方がある。

 

そこまで考えて、わたしは自分が重大な見落としをしている可能性に気づいた。つまりこれは現在のドイツではなく東ドイツ時代の記念碑で、だからこそソヴィエトを讃えているのではないか、と。それならまあ、納得はいく。まだ取り壊されていないのも、まあありえない話ではない。

 

そしてわたしは自分の歩いた経路を思い出し、二度目の衝撃を受けた。

 

これまでに述べた情報を繰り返そう。壁のすぐそばにあったブランデンブルグ門へと向かって、わたしは東向きに歩いていたのだ。