技術の禁止カード論争 ①

カードゲームにはよく、なんだかすごく悪用できそうなカードが現れる。悪用というのが具体的になにを指しているのかはまちまちだが、とにかく正規のコストを踏み倒したり、盤面を無視してそのままゲームに勝ってしまったりとまあ、そういうことができそうなやつらだ。清く正しい戦略ではとうていできないことをその手のカードはして、清く正しかったはずのゲームがめちゃくちゃに荒らされる可能性をひとは考える。

 

もちろん運営もほとんどの場合、そんなカードの危険性は認識している。認識したうえで、そのカードを刷っている。カードゲームとはルールに即していればなにをしてもいいゲームだから、悪用するということ自体は悪ではない。悪用を目指してデッキを組み、見事成功して勝利することもまた問題ではない。ただそういう戦略を嫌うプレイヤーも多いから、悪用してもそんなに強くなりすぎないようにしているというだけだ。

 

経験上、悪用できそうなカードの効果にはパターンがある。そのパターンをわたしたちはちゃんと知っていて、パターンに当てはまるカードを見てやれ悪用できそうとかできなさそうとか言うわけだ。今度出る新しいカードのリストを見て、わたしたちは新しい悪用方法を考える。それは具体的な組合せの形をとることもあるし、考えた結果まだパーツが足りず、パズルの最後の一ピースを待たなければならないこともある。

 

けれど世の中には、具体的な方法を考えないひともいる。別に悪用に興味がないとか清く正しいゲームだけにしか興味がないとかそういう意味ではなく、悪用されそうだというだけで思考を停止するひとたちだ。経験上悪用される種類のカードを見ると、彼らは単に「悪用されそう」と言うのだ。そして、運営を非難する。「なんでこんな悪さしかしないカードを刷ろうと思ったんだ、バカじゃないのか」。もちろん、経験を積んだ運営がそこまでバカであることは多くない。

 

さて。カードゲームならまあ、それは笑い話で済む。悪用される可能性はそもそも問題ではなく、そのうえで管理と調整を経ていて、なにより悪用されたところでせいぜい、誰かが腹を立てるくらいだ。悪用されそうだというあいまいな理由で刷られたカードが禁止されることはなく、実際に悪用され、十分強いか不快だと証明されたあとでなければ環境にテコ入れは入らない。悪用されそうだと騒いでいる誰かにそれを止める正当な理由はないし、誰かが騒いでいたところで、対処する必要もない。

 

けれど現実世界の問題は話が違う。新しい技術を見て「悪用されそう」と非難する行動は、現実では倫理と名付けられている。カードを禁止するためには具体的な実績が必要なのと違って、倫理が技術を縛るのに具体的な悪用手段は必要ない。ただ、悪用されそうだとみなが思うだけでいいわけだ。