催眠受験 ①

第一志望の大学から合格通知が届いた。

 

狭苦しい部屋の薄汚れたベッドの上で俺はガッツポーズをして、破れたシーツに背中から倒れ込む。呼吸と脈拍が早まり、綿埃を吸い込んだ汗が額に滲む。空っぽの本棚に張った蜘蛛の巣の残骸が、切れかけの蛍光灯を反射して鈍い光を放っている。俺は目をつぶって頬をつねり、これが夢でも催眠でもないことを確かめる。

 

間違いない。これは現実の出来事だ。

 

再び目を開け、俺は台所の母親を呼びに行った。合格を伝える四世代前のタブレット端末はバッテリーがイカレているから、充電コードの届かない場所に持っていくことはできないのだ。母親もそのことは分かっているから、トマトのへたをちぎる手を止めてやってくる。優しくしなびた両目が、不安と期待との間に揺れ動いている。

 

「受かったよ」

 

俺はなるべくそっけなく言って、ひび割れた画面を見せる。

 

不健康に痩せた身体で母は俺を抱きしめ、その力のか弱さに俺は愕然とする。俺の受験が始まるまで、母はこんなに折れそうではなかった。家が貧しいのはずっと変わらないけれど、母の衰えようはそれだけでは説明がつかなかった。

 

いや。理由は分かっている。ひとり息子である俺が豹変してしまったからだ。

 

催眠術の実用化から十年。当初は安全性を危険視されていたその技術はほどなくして、貧乏な高校生にとっての希望であることが明らかになった。どのみち失うもののない俺たちは、大学受験でアピールする経験を用意するため、己の記憶を改竄した。

 

俺たちが面接で語る偽りの経験は、本物の経験と区別がつかない。というのも、俺は実際にその存在しない経験を記憶しているからだ。面接で俺たちがつく嘘はとっさのアドリブでも、事前に念入りに準備した設定でもない。覚えていることを話せばいいだけなのだから、嘘をつく才能は必要ない。

 

経済的な問題で経験を積むことのできない俺たちにとって、それは最後のチャンスだ。高い飛行機代を払って海外に行かなくても、海外での経験を話すことができる。経験を証明する手段なんてないから、この嘘はバレない。催眠術とはつまり、経験という正当な手続きをバイパスして大学に入る、一種のシステムハックなのだ。

 

その間俺が俺であり続けられないという、自己の一貫性の崩壊を対価としての。

 

「催眠の予約をしなきゃ。元に戻るための」

 

耳元でそう言うと、母は何度も大きくうなずいた。俺の肩に、ぽとぽとと生暖かい液体が落ちる。こうしていると、もとに戻ることこそが正しいことだという気がしてくる。正しい俺とはつまり、催眠を受けるまえの俺なのだから。

 

けれどこの一年間の俺は、はたして偽りの俺だったのだろうか?