陰謀論について ③

さて。例の件に関しても、あなたは陰謀論を否定するかもしれない。

 

それが問題だとか言うつもりはない。あなたが気づいていない真実にわたしは気づいている、と、陰謀論者にありがちな主張をするつもりもない。つまるところ、額面どうりに受け取ることが原理上可能であるのならば額面どうりに受け取る、というのは真摯な態度のひとつではあるし、そして今回の場合、報じられたそのままを信じてもなんら不都合はないからだ。

 

だが。無能や規則で説明のつくことに意図を持ち出すべきではないという原則に反して、もしかするとあなたも、陰謀論のほうが正しいと思うかもしれない。むしろ逆に、当たり前に信じているからこそ、わたしがこうしてどうにか担保しようとしている相対性を、まどろっこしく思うかもしれない。

 

そう感じているのならば、すくなくとも、あなたはわたしと意見を同じくするものだ。わたしたちの脳内には共通の物語が宿っており、例の案件の隅々の事実までが、誰かの意図という精巧な歯車の連鎖でつなぎ合わされている。証拠に、あなたの感想を言い当ててみよう――わたしたちは既に疑いようのない真実にたどり着いているのに、どうしてわざわざ、ほかの可能性を検証する必要があるのだろうか?

 

ではその、「歯車の連鎖」を見てみよう。といってもまあ、単純なものだ(わたしたちの頭の中では、単純さこそが陰謀の存在を確固たるものにするのだ!)。以下に示すその「真実」は、わたしたち陰謀論者の目からすれば、わざわざ言われなくても即座に真実と分かるものにすぎない。

 

真実。大国の政府ないし諜報機関は、機密を暴くサイトの存在を快しとしなかった。だがゲリラ的な暴露活動は彼らの手にあまり、サイトの管理者を物理的にインターネットから隔離しておくしかなくなった。そこで彼らは、彼に架空の罪を着せることを思いついた。罪状は、そうだな……彼を取るに足らない人物だと思わせるような、カリスマ性をなるべく削いで、解放運動など起こらないようにできるような。そしてなにより、もしかしたら存在するのかもしれない被害者の手前、面と向かって嘘だと糾弾しにくいような、性的犯罪あたりにしておくのがいい……

 

と、まあ。こんなところである。最後のほうは(論理じたいにもまして)多分に妄想的だが、陰謀論者の想像力を舐めてもらっては困るのである。そして多分に妄想的であることを自覚してなお、彼の逮捕がサイトとは無関係であるという正常な思考より、わたしは妄想のほうを真実と信じるのだ。

 

さて、では最後の問いに移ろう。