振り返り――はじまり

振り返りの時期だと言ったね。

 

振り返ると言っても、一年ってのは長い期間だ。色々なことが起こる。だから振り返るとして、振り返るべきものは何かってのはそれなりに重要な問題だ。

 

こういう考え方もできる。テーマを探すことじたいが、すでに振り返りの本質なのだ、と。どういうテーマで書こうかって悩んでいるうちに思考が整理されて、書く頃にはすでに、考えるべきことなんてなくなっているんだ。ちょうど、試験範囲をノートにまとめなおしたらだいたい覚えてしまって、せっかく作ったノートを見返す必要がなくなってしまったときのようにね。

 

でも、最初に書くことは決まっている。だから今日、わたしがすべてを理解しなおせることはない。残念なことだけれど、喜ばしいことだ。今日のテーマが保証されているってことだからね。

 

テーマは。そう、すべての始まりについてだ。

 

どうしてこの日記が始まったか。自分で言うのもなんだが、何かを始めるのにはそれなりの勇気が必要なんだ。だからそこには、何もしないという安定を投げ捨てるだけの、れっきとした理由がある。

 

それに関しては、はっきりと思い出せる。一年っていうのは長い期間だけれど、ひとに初心を忘れさせるほど長いわけではない。一年とすこし前、わたしは確実に飢えていた。自分の考えたことを、外に出す機会にね。

 

わたしは考えることが好きだ。今も昔も、わたしはそういう人間だ。でもあの頃は、ちょっと度が過ぎていたように思う。憑りつかれていた、って言った方が正確かもしれないね。暇さえあれば、色々なものを否定する論理を組み上げては、崩して別のものを作っていた。

 

で、暇がないときなんてなかった。有り余る時間こそが、学生という身分の本質だろう?

 

というわけでわたしは、考えていた。研究もそっちのけで、考えていた。それなりに自信のある考えだった――頭の中では、まとまった一筋の論理に見えたからね。

 

せっかく考えたのだから、ことばにしないと勿体ない。でも正直、堂々と書けるような内容じゃない。世間体を気にしない人間にわたしは憧れるし、一般的な基準で見れば実際、気にしていない方だと思う。それでも書きたいことは、フルオープンにできるようなことだとは思えなかった。

 

引きこもっていても一応、社会とのつながりというものがある。わたしのことを詳しく知らないひとに、見せたくないわたしというのはあるのだ。

 

だから、ここを作った。見られても大変なことにはならないけれど、目的をもって探さないと見られないような場所として。

 

そうしてわたしは、書きたいことを書ける場所を手に入れた。アウトプットへの欲求は、結構な割合で満たされた。ここに書けない思考だって少しはあるけれど(たとえば、ジェンダーの問題とかね)、ツイッターの公開アカウントに比べれば、はるかにマシだ。ついでに、まとまった内容がかけるしね。

 

まあ、そのあとすぐに書くことが尽きてしまうのだけれど、その話は明日以降にしよう。

 

さて。

 

一年ってのは長い期間だ。ひとの欲求を変えてしまう。いまのわたしは、当時のわたしほど飢えてはいない。食べ物は十分すぎるほどあるからだ。

 

でも何か、ひとつでも変わらないことがあるとすれば。それはわたしが、書こうと思い続けてきたという事実だろう。