雨雲もしくは天蓋へと向かって、ぼくたちは昇ってゆく。
この世界はここで終わりだ。ぼくたちが出会い、喧嘩した世界は。けれど、惜しくはない。ぼくたち以外にはなにもない世界からぼくたちが取り除かれれば、あとには何も残らないからだ。
次のたこ焼き機の上で、ぼくたちは新しいぼくたちと出会う。そうしてぼくたちは、些細な違いを無視して、同一になる。
……正直、気味が悪い。ふたりの違いが霞んで見えるほどに、新しいぼくたちはぼくたちと異なるのだ。だがぼくたちは既に、全く異なる。ぼくたち以上に異なるふたりなんて、想像できない。
それでも経験上、新しい穴の中でぼくたちが始める喧嘩は新しいものなのだ。この穴の中での古い喧嘩を引きずったりはしない。直感に反して、ぼくたちはそう知っている。
どうして、そんなことが可能なのだろうか。こんなふたりが、一緒になるだなんて。
前の穴の記憶の中でも、ぼくたちは同じ疑問を抱いていた。ふたりとも、同じ疑問を。その疑問が吹き飛んだのは何故か――。
――いや、こんな異世界人を目の前にすれば、吹き飛ぶに決まっている。ふたりとも、そう思っている。
なら一層、どうしてぼくたちは一緒になれるのだろう……
解けない疑問を前に、ぼくたちは宇宙の成り立ちに想いを馳せる。
宇宙とは無限に続くたこ焼き機の列だ。たこ焼き機の穴のひとつひとつは、ぼくの取りうる状態のひとつひとつ。鉄板の一枚は、そういう状態を列挙したものだ。
鉄板は定期的に破壊される。ちょうど今起こっているように、穴のなかのぼくは次の鉄板へと向かう。辿り着くと、ぼくは次の穴のどこかに収まる。新しい穴には、別の穴から来たもうひとりのぼくが居座っている。
別の穴のぼくといまのぼくは無関係だ。あらゆることについて、別々の認識を持っている。だから喧嘩を始める。いま遠ざかってゆく下界を、死と呼ぶか虚無と呼ぶかといった問題に関して。
ありとあらゆる諍いを、ぼくたちは思い出す……。
そこでぼくは矛盾に気づく。
ぼくたちも元々は無関係だった。それが宇宙の原理だ。ふたりとも、そう認識している。それがどうやら、別の穴のぼくと対峙すれば、ぼくたちは同一の存在になってしまうらしい。
疑問。もし今でもぼくたちが無関係なら、別の穴のぼくと会っても、一緒になろうとはしないのではないだろうか?
いや、疑問ですらない。答えはひとつしかないのだから。
ぼくたちは喧嘩を続けるうちに、何かしらの共通理解を得ていた。ぼくたちが気づいていない何かが。知らず知らずのうちに、共有していた何かが。
それはなんだろう?
現在起こっているこれを破壊と呼ぶこと。宇宙をたこ焼き機だと認識すること。どちらも違う。もっと本質的な同一性があるはずだ。
そのとき、ぼくたちは気づいた。
ほとんどの部分で、ぼくたちがいかに同一なのかに。