全自動鶴折りマシーン ①

折田カンナは彫機研ちょうきけんの首席研究員である。

 

彫機研――彫刻機械研究所――は東京の西のはずれの山奥にある。なかなかに由緒正しい研究所で、さきの核戦争の前から、ずっとこのクソ田舎に鎮座している。

 

彫機研へとうねり続く山道を一度通ったものは、まずここを東京だとは思わないだろう。道の片側は露出した山肌で、ときおり東京にあるまじき緑の木々が青々と生い茂っている。もう片側は奈落で、東京の象徴である死が、大口を開けてわれわれを待っている。

 

もちろんこんな場所が東京であるはずはなく、実際歴史上、ここが東京として扱われた時期はない。核戦争以前の行政区分では一応東京都に振り分けられていたらしいが、それはこの場所が東京だからではなく、この場所がどこでもないからだ。

 

神奈川にも山梨にも埼玉にも分類できないから、とりあえず、東京。小笠原諸島南鳥島が東京なのと、同じ論理である。

 

だからこそ、彫機研は核戦争を生き延びた。東京の大規模な施設はすべて熱と衝撃波に消えたが、東京になければ消えることはない。この場所には、核戦争以前の記憶が残っている。しこうして、東京ではない。

 

さて、そんな行政区分すらないクソ田舎で、カンナたち研究員はいったい何をやっているのか。

 

もしかすると、こんなふうに考えるかもしれない。山奥の研究所だから、山奥らしいことをやっているに違いない、と。研究内容は天文観測か、あるいは仕留めた鹿の調理法についてか。そうでなければ、きっと温泉でも掘っているのだろう。そうだ。温泉に違いない。

 

……と思うかもしれないが、じつは案外、細かいことをやっているのである。

 

3D プリンタという工作機械。七十年前に一世を風靡したその機械は、ひとつの大きな問題を抱えていた。どんなに頑張っても、材料によっては出来上がりにムラができてしまうのだ。だから当時、精密さが要求される彫刻作業は、職人の手作業で行われていたのである。江戸時代と同じように、だ。

 

そんな 3D プリンタの後継機の開発を目指して建設されたのがここ、彫刻機械研究所である。全自動で、任意の材料をもとにして、任意の設計図に基づく精密な彫刻作業を行う機械。「すべての製造業を置き換えることになる」とまで言われたその機械の開発に、ひとは思い思いの夢を託したものだ。

 

どんなものでも作ることができる、そう言われてときめかないひとがいるだろうか?

 

だが古今東西の例に漏れず、その研究は頓挫した。原因ならいくらでも挙げられるが、一番分かりやすいところを述べれば、要するに高望みがすぎた、ということになる。

 

どんなものでも作れる機械を作る、そんな夢が叶うわけがないだろう。魔法映画の主人公だって、自分を機械に組み込みはしないというのに。

 

だが同時に。古今東西、研究所とは当初の目的を離れてゆくものである。当初はひとつの機械の開発だけを目指して作られた彫機研だが、組織の再編だとか懲罰人事だとか研究不正だとか義理人情だとかを通じて、気づけばぜんぜん違う研究所になっていた。いまの彫機研は、精密機械に関することなら何でもやる。彫刻機械部門は縮小されてはいるが、それでも設立時の名残で、細々と活動している。

 

そして、主席研究員である、折田カンナの研究内容。

 

それはなんと、自動で折り鶴を作る機械の開発であった。