そこらじゅうが足の踏み場

体調はだいぶ良くなった。明後日くらいには万全になるだろう。

 

ロキソニンとはやはり素晴らしい薬だ。風邪のすべてに効く。ロキソニンで抑えられぬ風邪などない。もし無人島にひとつだけものを持っていけるなら、わたしはロキソニンを選ぼう。崇めよ、ロキソニン 60mg 錠を。なお本当は後発薬のロキソプロフェンを使っています。

 

机の上の乱雑度合いはいまだ凄惨なままだが、こればかりはどうしようもない。体温を計測することには、どうやら莫大な治癒効果があるようだが(風邪の時はこまめに体温を測るように言われるものだ)、片付けを進める効果はない。あの万能のロキソニンだって、机上の闇は糺せない。

 

悪いのは机なのだから、わたしが飲んでも効果はない、という可能性だって考えられる。なるほどまっとうな指摘だ。では実際、机にロキソニンを飲ませてみよう。

 

……おかしいなぁ。効かないばかりか、なんかまた物が増えたような気がするぞ。

 

はあ。銀の弾丸はないものか。ロキソニンのサイズと形状は、弾丸に使えたとしてもおかしくはない。だが残念なことに、どう見ても銀ではない。

 

さて、昨日からわたしは、机上の闇の話をしてきた。じゃあ机以外の場所はどうなのかといえば、もちろん綺麗なはずはない。汚部屋という現実と向き合ってほしい。わたしはこの目でいま、はっきりと物理的に向き合っている。

 

つまるところ、ひとりの人間が生活することで世界にもたらされる闇は、とても机の上だけには収まらないのだ。机の上が荒れるのは、単にもっとも手近だからに過ぎない。

 

ここまで読んで、みなさんの頭の中には、足の踏み場もない汚部屋の情景が浮かんでいることだろう。だが驚くべきことに、足の踏み場はある。それも結構な面積だ。ものをどかさなくても布団が敷ける。敷かれた布団の横にすら、いくばくかのスペースが残されている。これを足の踏み場と言わずしてなんと言おうか。

 

……いや、足の踏み場どころではない。人間の足はそんなに大きくないし、象の足ですら同じだ。足どころではないなにかの踏み場。広大なカンバス、無限の行動可能性。

 

その後ろには、最小限の面積に押し込まれた、暗黒の集積が控えている。

 

世の中には二種類の人間がいる。ものを床に散らかす人間と、隅に追いやって見なかったことにする人間だ。後者代表であるわたしは、背後の濃縮された暗黒のことなどすっかり忘れて、日々を楽しく過ごしている。

 

数年前、わたしは一念発起して、暗黒の仕分けに取り掛かったことがある。大量の埃にまみれた空間をほじくり返すわけだから、マスクは必須だ。生命に危険を及ぼす作業。暗黒面と思い出の誘惑に引きずり込まれそうになりながらも、わたしはなんとか、闇をよりマシな闇へと浄化する作業を完遂した。

 

結果。現金八千円ほどが、わたしの財布に転がり込んだ。

 

床に散らかす派閥の人間に、この喜びはないだろう。彼らは床の現金が見えている。そしていつのまにか、別のものに埋もれてなくなっているのだ。彼らはあるはずだった現金を失う。われわれはないはずだった現金を得る。人生の価値とは幸福の量。諸君、われわれは勝利したのだ!

 

……え? 片付けのできる人間を忘れている、って? 彼らこそが勝者だろうって? いやだなぁ、そんな人間、いるわけがないじゃないですかぁ!?