祈り、あるいは幻影への追従 ②

「このヘッドマウントディスプレイのように、ですか」インタビューアーの声は、薄ら寒い風として式場を吹く。カナタのほうは、その行き過ぎた不格好を咎めることなく、ただ不敵な笑みを浮かべる。わずかに見えた歯が、天然の灯りに妖しく光る。


カナタを疑ったのは一度ではなかった。普段話しているカナタが、本当のカナタとは全然違う存在なんじゃないかと。《幻影》が粗悪品なのではないかと。

 

カナタ個人の《幻影》。これはカナタが《インターブレイン》上に残した、もうひとつの形ある姿だ。ミーハーではないカナタが、そんな最新鋭の技術を使っていたのはほかでもなく、単にカナタ自身が開発者だったからだ。

 

おかげでぼくたちは、四百年前に生きたカナタと直接触れ合うことができる。映像の中のカナタではなく、インタラクティブに動作するカナタ。もちろん、それはカナタ本人ではない。いまから見れば出来の悪い、生きていた人間の模造品だ。だがそれでも、誰かの人となりを大まかに知りたければ、《幻影》は映像よりずっといい。


当時の技術がどれほどのものか、ぼくはカナタを通じてしか知らない。だからこの《幻影》がどれくらい正確なのか、ぼくたちにはわからない。カナタが自分の理想を詰め込んで好き勝手に《幻影》を作った可能性だってまた、考えられる。

 

カナタは後世のぼくたちを騙そうとしていた、そんな可能性もある。そしてたとえそうだとしても、ぼくはそう気づくことができない。誰にもわからない、だって生きていた頃のカナタを、誰も知らないのだから。


すべての真相はとっくに砕け散っている。四百年前の、カナタの真っ白な掌の中で。

 

会社に騙されていたことに、当時のカナタが気づけなかったのと同じように。

 

だがひとつだけ、言えることがある。ぼくだからこそ、カナタの《幻影》を追い続けていたぼくだからこそ。カナタの映像に残る、曖昧だが確実な違和感。


《幻影》のカナタは、こんな態度を取らない。挑戦的な笑みは浮かべない。不遜な質問に余裕を気取って、相手が困るのを待ったりはしない。ただ肩をすくめて、苦笑するだけだ。


それが本来のカナタなのかもしれないし、そうじゃないのかもしれない。嘘をついているのは、《幻影》のほうだろうか、それともログの中のカナタのほうだろうか。


インタビューアーの躁的な呼吸。自分の額の機器について喋らせること以外、何も考慮に入っていない息遣い。何度も見た映像だけれど、いつまでたっても羞恥は消えない。ぼくは思わずサブディスプレイを起動し、周りを覗く。何人かがほんの少しだけ顔を赤らめたような気がするが、気のせいかもしれない。


あるいは、ぼくが変わってしまったか。カナタその人に、疑念を覚えるようになって。

 

わずかな嫌悪が胸をかすめる。信じていたものが覆されようとする、その瀬戸際の防衛反応。あるいは、ぼくはもうとっくに、カナタを慕ってなどいなかったのか。

 

カナタがカナタでなかったとしたら、ぼくはカナタの死を悲しめただろうか?