キノコの家 ⑤

選択肢はふたつだ。


選択肢一番、絶望的な選択肢。

 

奴の要求を断固として拒否し、キノコは刈らずに去る。結果として、今月の家賃しめて一万八千円を徴収するきわめて正統な権利を俺は保ち続けられる。その権利が、授業中に児童を黙らせようと試みる小学校教師のごとく正統で、すなわちまったく実行できる可能性がないということに関しては、単に知らなかったことにする。

 

選択肢二番、建設的な選択肢。

 

奴のありがたい申し出を謹んでお請けし、菌類の同胞を引き取らせていただく。家賃を回収できる確率をほぼゼロからゼロに下げるという目先の犠牲。その、ユニコーンガンダムダイオウグソクムシを足して三をかけた生物がアスファルトを突き破って生えてくる現場に居合わせるくらいの可能性さえ捨ててしまえば、カサタテ荘は当面の侵食の危機を逃れ、今後の存続と輝かしき未来を約束される。


感謝を撤回しよう。俺に選択肢はない。


俺はゴム手袋をして、のこぎりを右手に鈴木の部屋に押し入った。自分の命よりもものぐさを優先したのだろう(当然だ)、鈴木は布団から動かなかった。大小さまざまなハエが空間を満たし、空間そのものよりだいぶ優雅な和音を奏でていた。ボーカルの鈴木が、その合奏に歌詞にならない呻きを加えた。

 

俺は部屋を見渡した。予想通り、壁も床も、天井に至るまでみなキノコだった。蛍光灯の紐にすら、菌糸は付着していた。パレットのように色鮮やかな、原色の菌の海。ユビキタス・キノコ。

 

一面のキノコ。壁と壁と壁と壁と、床と天井。時空が歪んでいなければちょうど六面、だが歪んでいないことなどありえない。有毒も無毒も。あらゆる色、あらゆる格好、あらゆる味、におい、手触り、音色、霊感。イッツアマッシュルームワールド。

 

それらのキノコを、俺は手当たり次第に伐採した。世界を切り取り、虚無だけを残すように。時空のゆがみを正すように。間違って鈴木を伐採してしまわないようにするためには、無限の集中力を要した。

 

無限にも思える作業。おそらく数億年分の家賃が、作業中に発生したことだろう。その数億年のあいだ、鈴木は動かない。俺は無心で伐り続ける。キーノコ、キノコ、キーノコ、球菌。キーノコ、キノコ、無収入。


だが壁が見えた。床が見えた。天井が見えた。光が見えた、時空は正された。俺は伐ったすべてをゴミ袋に投げ込み、踏みつけ、口を縛った。あらゆる切り口から不気味な汁が漏れた。ハエが落ち、床の海に溺れた。

 

「じゃあ、これが家賃で」 見える限り唯一無事だったその菌類は言った。


だから俺は、床に散らばっている千円札をありったけかき集めると、そいつがまだ地面から身体を引き剥がさないうちに、窓から一〇一号室を飛び出した。


共生とは生命の神秘だ。


例としては、カサタテ荘の住人とキノコの関係が一番有名だろう。自然のものとは思えない原色の映える、美しきキノコの群れ。それらに囲まれるようにして蔓延る、人型をした醜悪な何か。


妖艶さと薄汚さのギャップ。万年の夕闇を彩る菌類と、腐りかけた脊椎動物。だが住人の怠惰は、キノコという芸術を俺のような侵略者から守っている。芸術のほうも、住人を家賃の支払いから守っている。


よく似通ったそのふたつの生物は、にもかかわらず、互いを互いの助けとして生きている。


互いの欠点を補って。互いの欲するものを与えあって。


そして俺は。


キノコを伐る。家賃を奪い、逃走する。

 

カクレクマノミとイソギンチャクをまとめて噛み砕く。海底のすべてを焼き払う。互いが支え合うならば、どちらも滅ぼすまでだ。


俺は共生を根絶やしにする。環境を破壊する。


人類というものが、いつもそうであるように。