キノコの家 ④

「家賃はキノコ払いで」 何の恥じらいもなく、一〇一号室の鈴木は言った。


鈴木とは、本人曰く五十年間ここに住みついているらしい超自然的存在だ。痩せてしわくちゃになった肢体は、もはやキノコとどちらが菌類なのか区別がつかない。

 

仙人を自称するその老男は、実際に霞を食べて生き延びることくらい造作もないように見える。というより、霞以外の何かを食べるようには到底見えない。ガラスのない窓から覗く床にはボトルや空き缶が転がっている――きっと、観光地の土産物屋でたまに売っている、春の空気を詰めたやつだろう。

 

しかしながら、この妖怪は断じて仙人などではない。仙人とはあくまで徳高き老人のことであり、そして鈴木に徳などない。こやつはむしろ煩悩の塊、一〇一号室に足の踏み場がないのは片づける必要がないからではなく、片づけないからだ。奴の部屋の中を見れば誰しもそう気づく。ちなみに、鈴木にプライバシーはないから、それを確認するためには玄関から一〇一号室までの五メートルを進むあいだ、悪臭に耐えていればよい。

 

もっとも他所から見れば、こと食事面に関して、鈴木は理想的に禁欲的なようにも見えるかもしれない。だがそれとて、奴の節制を示すわけではない。単に空腹に気づいていないか、気づいていたとしてものぐさに勝てぬだけだ。足るを知るのが仙人だとすれば、奴は足らぬを知らぬ。ちなみに鼻も壊れているようで、奴は悪臭にも気づかない。


奴の万年床にももちろんキノコは顔を出していて、だが同胞のよしみか、奴はその柔らかな笠に頭を預けて眠ることを躊躇わない。十年来あらわになっていないと思われる布団の下の床は、疑いようもない理由により盛り上がり、布団の上からでもそのふくらみがよくわかる。


そんな菌類に俺は、選択を迫られていた。


巷では、住人という生き物はみずからの住環境に気を配るものだという。それどころか、もし気に召さない点があれば、それを改善せよと大家に要求すらするらしい。


何の都市伝説か知らないが、とりあえず、キノコが生えているのはよい住環境とは言えないだろう。だからもしその噂が真実なら、俺がキノコを刈るのはむしろ感謝されてしかるべき行為ということになる。

 

そうではなかろうか。


……馬鹿馬鹿しい。冷静になれ、部屋のキノコを刈られたがる住人などいるわけがないだろう。地に足をつけろ。物理的に地に足をつけられない建物に住むことは、地に足をつけなくていい理由にはならないのだから。

 

感謝など求めるな。特に、キノコを刈ることになど。

 

だいたい、ここでなくても感謝など稀なものだ。親切のほとんどは当然と思われるか、煙たがられるか、あるいは単に気づかれない。良心でやったすべてにいちいち感謝を求めて、感謝がなかったたびに怒りださねばならないのであれば、俺はもう怒りで真核生物のすべてを三回ほど滅ぼしているだろう。

 

感謝など求めるな。そして、感謝できるならば、しておけ。

 

現実には。鈴木という菌は、どうやら俺に選択肢を与えてくれているらしい。そのことだけで、すでに俺の方が感謝する側だろう。