まあまず、以下のセリフをご覧いただきたい。発言主はわたしの脳内に住まう何らかの存在、すなわちわたしであって、わたしではない存在だ。
……もうすこしきちんと言えば、わたしが思いつける発想だという点でわたしではあるが、わたしが本当に信じていることではないという点でわたしではない。つまりまあ、わたしの書いている小説の登場人物の発言、程度に思ってもらえればいいだろう。
じゃあ、紹介しよう。
「美人は性格が悪いとよく言われるが、完全なる誤りである。
性格の悪さは、美人に特徴的な性質ではない。すくなくとも、わたしのまわりの美人はいいひとばかりだ。
美人以外に特徴的な性質でもない。よく言われる説に、顔が悪いと幼少期に自分を肯定してもらいにくくなって、性格がひん曲がってしまうというのがある。
だがそんなものは、とりあえず社会を斬ってみたい奴が、腐った自己憐憫と矮小な自尊心とをこね混ぜて言い出した、無根拠なあこがれに過ぎない。自分に関係あることでもないことでも、奴らがとりあえず全部社会のせいにしておくのは、なにもほんとうに社会が悪いからじゃない。とりあえずそうしておけばいちいち責任の所在を考えて気をもまなくていいし、それになにより、なにかリベラルで頭のいいことを言っているような気がしてくるからだ。
とにかく、顔と性格は相関しない。どんなアンケートを取れば統計的に実証できるのかは知らないけど、仮にできたとして、相関は出ないとわたしは確信できる。
美人は性格が悪くはないし、べつによくもない。
ではなぜ、美人は性格が悪いだなんて言われるのか。
不細工の僻みだ、というのが大方の通説だが、この説もまた間違っている。なぜならば、かりに誰かが僻みで美人をけなしたとして、たいていの人には、美人の知り合いがいるからだ。
冷静になって考えてみてほしい。
きみのそばにいる、別に美人というわけでもない誰かが、美人の性格についてあることないことまくしたてていたとしよう。そういうひとはまあ、性格は悪いと言ってもいいだろうし、もっと悪いことに、自分でなにかを考えるということを知らない。
そしてその横には、顔と性格を紐づけて考えようとかいうことはしない、美人の知り合いがいる。
そんなとき、きみはどっちを取るかって話だ。この先は言わなくても分かるね。
ほかの説には、ひととひととのつりあいを取るためだっていうのもある。美人で性格もいいなんて不公平だという思いが、美人は性格が悪いという思い込みにつながっている、ということだね。
これはある意味ではいい線行っているけれど、やっぱり根本的な矛盾を含んでいる。ひととひととのつりあいなんて、だれも取ろうと思っていないというのが、その矛盾だ。
だって、世の中が不公平なものだなんて、誰でも知っているんだから。
じゃあなんで、美人は性格が悪いことにされるのか。いや、されていても、あんまり誰も文句を言わないのか。
その答えは、ひとの願望にある。
いやむしろ、性癖と言ったほうが的確かもしれないね……」