理解を理解すること

いったいどういう意味なのだろう。なにかを、理解するとは。

 

もしあの子の前でこうこぼしたなら、彼女はなにをいまさら、と言って嗤うだろう。ぼくの脳内に生息していたりいなかったりするその少女はどこまでも気高く、凛とした両目に親愛と同情の入り混じった光を浮かべて、ぼくには見えない遠くの空をけだるげに見つめている。見て、そう彼女は言って、青空が青い原理について、色による光の屈折率の違いとかそういうありきたりな説明をするけれど、肝心の青空のほうは、目の前の灰色の壁に阻まれて見えやしない。窓のない部屋の中でどうして空が見えるんだ、ってぼくは内心不満に思って、思慮深いのか何も考えていないのかまるで判断のつかない彼女の虹彩に向かって、「屈折率くらいは知ってるよ」と半分ムキになって言う。

 

それはもちろん彼女の思うつぼで、じゃあなんで色によって屈折率が違うの、と真剣な顔で聞いてくる。彼女はいつもたくみに表情を隠すから、彼女が本当に答えを知らないのか、それともただ試されているだけで、ぼくがとんちんかんな回答をしたら思い切り嗤ってやるつもりなのか、ぼくには判断がつかない。めずらしくぼくは理性的になって、どちらにせよ、真面目に答えれば損はないことに気付く。だからぼくはなけなしの物理学の知識を引っ張り出して、波長が違うと空気中での光の速度が違うから、とか答える。でもどうやら、彼女はぼくの答えには興味がないようで、答えを言い終えもしないうちに次の質問を投げかけてくる。じゃあなんで、波長がスピードを変えるの、と。

 

このあたりでぼくは、彼女にハメられたことに気付く。どうやら彼女は、ぼくがどれだけ答えようとも質問をやめる気がないようだ。そうやって終わりなく続けて、ぼくが答えに窮するか質問のどうしようもなさに絶句したところで、ぼくをひととおり馬鹿にする心づもりなのだ。きみはわかってないね、とかそういうことを言って。

 

だからぼくはにやりと笑って、胸を張ってこう答える。「知らない」、と。

 

彼女は共犯者めいてうなずくと、わたしも知らない、と言ってけらけらと笑う。

 

「やっぱり分からないよね」と言うか、「なんだったんだよ」と言うか迷っているうちに彼女はいつもの凛とした表情に戻っていて、また壁の向こうの青空を見つめている。冗談を言うタイミングを逃したことに気付いてぼくは内心悔しがるけれど、それを表に出さないくらいの分別はわきまえている。だからぼくは彼女と一緒になって青空を見ようとするけれど、やっぱり見えないものは見えなくて、ただ灰色の壁の一点を見つめている。そうしているうちに数十分が経って、ぼくはようやく我に返って、壁に向かう席を立とうとする。

 

そのときようやく、彼女はつぶやく。理解しなくて、いいんじゃないかな、と。ぼくを呼び止めるための発言じゃないっていうことはぼくが一番分かっているけれど、それでもぼくはまた座りなおさずにはいられない。

 

ぼくが座り終えると、彼女はぼくと空にしか聞こえないような声で、きみはわからないことを恐れている、とささやく。

 

ほら見て、青空っていうのはつまり、青空っていうことなんだよ。

 

理解するっていうのは要するに理解するっていうことで、分からないことを全部つぶして、教授に怒られないようにすることじゃないんだよ。

 

見てごらん、そう言って彼女が指し示した先はやっぱりどうしようもなく壁で、ぼくはおもわず笑ってしまう。そんなぼくを見て彼女は人差し指を立て、もう少し待つように合図する。騙されたと思って待ち始めてみてからまた十分が経って、こんどこそ騙されないぞと決心して、「やっぱり壁じゃないか」とぼくが言おうとした瞬間、ぼくは壁の黒いしみたちが位置取りを変えるのに気づく。どこかで見覚えのあるその形は、綺麗な北斗七星のシルエットで、ぼくはふと、昔ななつ星から北極星を見つける方法を習ったのを思い出している。そういうことだったのか、ぼくは思って、ひしゃくの先を五倍に伸ばし、その先の点を見つめる。

 

そこでは彼女の右目が決意に満ちて、まっすぐに朝焼けの空を見つめている。