困難の処遇について

きみが現実の問題をなにかひとつ解決しようとしているとして、きみはおそらく、それとぴったり同じ問題を解いたことは一度もない。現実というのは複雑なもので、ある程度骨のある問題なら、たとえ昔解いた問題とどんなに似通っているように見えたとしても、解法は細かい舞台設定の違いにものすごく影響されたりもする。いやむしろ、その違いを敏感に感じ取ることこそ、問題を解くコツなのかもしれないね。「困難は分割せよ」とはよく言ったもので、問題の解像度を上げていって、各個撃破ができるようになるまで問題を分割することこそ、きみの腕の見せ所だ。

 

で、そうやって問題をこまぎれにしていけば、ほとんどの部分は簡単に解決できることがわかるだろう(もしそうなっていなければ、きみの分割の方法が悪いか、あるいはそもそもまともに取り合える問題じゃなかったってことだ)。そうなったとき、きみが最初に取り組むべきは、すべての部分の中で一番難しいところだ。なぜって、その部分が一番、問題の本質を反映しているからね。もちろん、難しさなんていうのは主観的なものだし、そもそも解いてみるまで分からないから、きみのその最初の評価が当たっているとは限らない。簡単だと思っていたところが実は難しくてそっちが問題の本質だった、っていうことだってある。でもとにかく、そこが解けないとどうしようもないんだから、きみが一番難しいと思うところに落ち着いて取り組めばいい。

 

でもこれは、きみが答えとして完璧なシステムを作らないといけない場合の話だ。たとえば自動車はエンジンなしでは動かないだろうし、数学の証明はあらゆるところが厳密でなければならない。法律や税制に穴があれば、詐欺師はかならずそこを衝くから、そやはり厳密につくられねばならない。物理学者の世界観にしたがうならば、物理法則とは世界を成り立たせる完全な法則だ。とはいえ、すべての問題がそうだというわけではない。たとえばきみがイベントを運営するとして、それが小規模であれば、セキュリティの問題をすべて放棄して、性善説で運営してもうまくいくだろう。時間遡行を取り扱った作品は数あれど、そのほとんどは、一番致命的な問題であるタイム・パラドックスには立ち入らず、タイムトラベルの面白さだけを取り扱っている。

 

そう考えれば、世の中には二種類の問題があると言えるのかもしれない。すなわち、完璧が要求されるゆえにできないことに焦点を当てなければならない問題と、面白さが要求されるゆえにできることを伸ばせばいい問題だ。ふたつに要求されるテクニックはまるで異なるから、片方だけをもって問題解決の何たるかを学んだ気になっても、もう片方の問題にはまったく太刀打ちいかないだろう。そんなことをすれば、穴のある証明を面白いからと言って提出したり、逆に小説に登場させる予定の超光速移動を可能にする物理法則について延々と悩み続けて、肝心の物語のほうは一切進まなかったり、ということになってしまう。

 

だからこそ、きみは問題を解くまえにまず、できないことを放っておいていい問題なのかどうかを見極めなければならない。幸いなことに、見極めそれ自体は、たいして難しくはないはずだ。