共感性羞恥 ①

昨日、数学の木村先生が教室に入ってきたとき、わたしたちはいつものようにおしゃべりを続けていた。チャイムはすでに鳴っていたけれど、健全な高校生がそんなことで黙るわけがなく、先生はやっぱりいつものように、教壇の上で困り果てていた。先生たちも両親も、前に人が立っているときにしゃべっているなんて失礼だって言うけれど、この状況で静かにできる人なんて、本当にこの世界にいるのかしらとわたしは思った。きっと大人たちだって、前に立っているのが社長や天野先生じゃなくて木村先生なら、税金のことだったり、自分たちが思春期の子供にいかに嫌われているかの自慢だったり、そういうどうでもいい雑談をやめたりはしないんじゃないかなぁ。

 

で、でも昨日は奇跡的に、一瞬だけみんなが静かになった。なんでそうなったのかはよくわからないけれど、教室でのすべての会話のセリフが一斉に切れ目を迎えて、そしてさらに不思議なことに、わたしたちの誰もがそれに気づいて話をやめた。もしかしたら、同じ教室でしばらく過ごしていると無意識のテレパシーみたいなものが使えるようになるのかもしれないけれど、まあそんなことはどうでもいい。大事なのは、静寂が訪れる直前に山岡が言い放った「人間は愚かだ」ということばが、本人の想定に反して、教室の全員にはっきりと聞こえたこと。

 

それを聞いた木村先生は堪忍袋の緒が切れたのか、しわだらけの顔を精一杯にしかめて、「愚かなのはきみだ!」と叫んだ。声は裏返っていたし、明らかにとばっちりだったし、正直に言って木村先生はこのときでも、天野先生が普通に廊下を歩いているときの十分の一ほどの迫力もなかった。でも内容が内容だったから、みんな山岡にちょっとだけ共感して、教室が気恥ずかしさでいっぱいになった。さすがの山岡でも赤面して黙るかと思っていたら、もはやわけがわからなくなったのか、なんと「俺は賢い!」と言い返した。張り詰めた空気が一気に動き出して、わたしたちはいっせいに笑い、また木村先生が困る羽目になった。

 

そのあとクラスで「俺は賢い」が流行って、その日のうちに全校に知れ渡ったのは……まあ言うまでもないか。

 

その日の帰り道、わたしは山岡と一緒になった。例のことはまったく気にしていないと思ってほしかったのか、彼は普段通りに話そうと頑張っていたけれど、努力して普通を装おうとするひとの不自然さって言ったら、もう怒った木村先生どころの騒ぎじゃない。おまけに彼は一日中いじられ続けて、疲れ切っている様子だった。だからわたしの打算的な部分は、彼がここ数時間向けられていないだろうやさしさを発揮して、いったいどういう文脈で「人間が愚か」だと思ったのか、彼に尋ねてみることにした。

 

目論見が当たって、彼は話し始めた。「まず、きみは知ってるかな。囚人のジレンマ、っていうのがあって……」

 

山岡が滔々と演説しているあいだ、わたしは適当に相槌を打ちながら黙って聞くふりをしていたけれど、正直なところ、内容は全然あたまに入ってこなかった。というより、聞く気がなかった。こんな長話になるとは思っていなかったし、それ以上に聞いていられないような言葉遣いだったから、わたしは聞いたことを後悔した。「……ということだね。わかった?」と彼が聞いたとき、うわの空だったわたしは思わず相槌を打つのが遅れて、聞いていなかったことがバレやしないかと心配になった。

 

夕焼けの T 字路を、わたしは逃げるように左に折れた。街路樹の小鳥がピィと鳴き、わたしたちふたりに平等に嘲っていた。視界の中の溝蓋から、見えない無数の目がわたしを興味深そうに眺めていた。

 

その日の夜、わたしはベッドの中で考えた。わたしだって正直、みんなをバカだと思うことはあるし、わたしが山岡になっていてもおかしくなかったかもしれない。そう考えると恐ろしいけど、でもあの恥ずかしさの原因は、なにか別の、わたしではなく彼の中にあるような気がしてならなかった。