前提でぶちのめせ

世界が存在していると思ってもらうには、まずぼくらはその世界を、聞き手に大量にぶつけて、打ちのめしてやらないといけない。その世界に普通に転がっているなにかをところかまわず拾い上げて、何発外してもいいから、とにかく投げつけ続けて勝負を仕掛ける。ううん、実際のところ、勝負って言うとフェアじゃないかもね。ぼくらがすべきことは、最初に殴りかかってきた相手から身を守ることじゃなくて、ただ一瞬ぼくの話に耳を傾けただけの不運な相手に、お願いですもうやめてくださいあなたの言うことは何でも信じますから、どうか命だけは助けてくださいって言われるまで、足元の小石なりダンプカーなり、あるいは月か太陽か、それらすべてを意識する脳波の流れ自体を、ただぶつけ続けることなんだ。話の導入って言うのはたぶん、そうやってできている。

 

だから、もし相手がものすごく協力的か、あるいはぼくの思考をありのままに盗聴しているかなにかで世界のことをつぶさに知っているなら、話は単純だ。導入なんてばっさり切り捨てて、本当に面白い部分だけを話してしまえばよい。ぼくだって無抵抗な相手に石なり意識なりを投げつけるのは嫌だし、投げつけられている側に関しては言うまでもないから、そうすればお互いがハッピーだ。うまい話には裏があるっていうし、じっさいこれはうまい話だけど、実はそういうことは、現実世界ではすごくよく起こっている。たとえばぼくときみの共通の友達がなにかすごく面白いことを言って、じっさいにぼくたちは内臓がねじ切れるくらい笑い転げたけれど、あとできみのおかあさんにそのことを説明しようとしても、全然面白くならないっていうこともあるよね。それはもちろん、その友達に関してぼくらが知っているいろいろなことをきみのおかあさんは知らないから、それをいちいち説明してあげないと面白さが伝わらないっていうことだ。まあ、説明したところで分かってもらえるかは別問題だけどね。

 

とはいえ、この話題についてぼくときみの間に共通認識はないから、ぼくはこうやって、いちいち前提を説明してあげないといけない。きみはこんなにだらだらと話を聞かされたくはないかもしれないし、ぼくがきみの立場ならだんだんいらいらしてきて、いいからはやく結論を言ってくれって文句を言い出す頃だけれど、残念ながら、必要なのはきみを打ちのめすことなんだ。これまでの内容はひとつの文で説明できるし、ぼくはそれができないほど無能ではないし、そのうえきみはそうして欲しいと思っているだろうけれど、ぼくはあえてそうしない。だってそうしたら、ほんとうに一文で終わっちゃって、マゾヒストのきみはつぎの石に身構えるだろう? そうじゃなく、きみが本心から許しを請うまで、ぼくは続けないといけないんだ。きみの興奮のためじゃなくてね。

 

で、本当はこの何倍も続けなきゃいけないところだけれど、まあ少なくともきみは、今日のぼくがこういう話し方をするっていうことくらいは分かってくれたところだと思う。客観的に見て正直まだまだ殴り足りないし、まだやめてくれって思いきっていないきみはここまで話を聞き続けているだろうけど、まあとりあえず、結論のひとつを話すことはできるとは思う。じゃあ、いくね。

 

今日のぼくの話には、ほんとうに何の内容もない。いまぼくがやっているのはただだれかに世界を投げつける訓練で、きみはまんまとその標的になったっていうことだ。ほら、きみはいま腹を立てて、時間を返せって思っただろう? それこそが物量の効果ってやつで、きみを苛立たせられるかを実験することこそ、今日のぼくの無益な長話の、ただひとつの目的だったんだ。