カンニバル食堂 24

ボブはアンナの寝顔を、見たこともないほど穏やかな顔で見つめていた。その恍惚はカリフォルニアの太陽のように曇りなく、それでいて、絹のカーテンを透かしたようにやわらかだった。

 

小一時間ほどのあいだ、ボブはそうしていた。その目には膝の上の天使だけが映っていた。いまや世界とボブを隔てているのは、三人のいるこの部屋の、白一色の殺風景な壁ではなかった。そのかわりに、仕切りはむしろステファンとボブの間にあった。その仕切り、親愛の繭。世界一やさしく、世界一脆く、そして世界一強固な。

 

しばらくして、ステファンはしびれを切らした。目の前には、待ち望んだ脱出口がぽっかりと口を広げている。だが相棒は、真実と彼が主張するものを追い求めているらしい悪友は、新しい父娘の邂逅にかまけて動こうともしない。

 

はたしてこいつは、本当に脱出する気があるのだろうか?

 

「おいボブ」 確認するように、ステファンは言った。ボブは答えなかった。

 

「おい、聞いてるか」 ステファンは繰り返した。やはり、ボブは答えなかった。

 

「真実とやらはどうでもいいのか」 ステファンはボブの裾を強引に引っ張った。

 

ボブはようやく気付き、だがそのことばはそっけなかった。「やめろ。起こしちまうだろ」

 

ステファンはむっとした。こいつとは言い争ってばかりだが、それでも目的は共有しているつもりだった。俺たちが隣の部屋との交信を試みたのは、なんのためだったとこいつは思っているのだろう?

 

そして突如、ステファンの脳裏を好ましくない仮説が襲った。

 

ボブは、真実とやらを探し求めにやってきた。本人が、そう言った。存在しないはずの工場で生産された、まごうことなき人肉。それには、間違いなく調べる価値があると。

 

そして、ボブはいまでも、そのオカルトを求めているのかもしれない。そして、ボブはアンナという真実を手に入れ、目的を達したのかもしれない。

 

そして脱出とは、さらなる真実を知るための過程だ。同時に、真実を世に知らしめるための手段だ。そして、それこそが俺たちが監禁されている理由だ。これ以上の真実を知らせないこと、そして、知られると困る真実を、壁の中に閉じ込めておくこと。

 

だが、それでも。

 

脱出それじたいは、真実でも何でもない。ただ、次の真実を探すための、身の自由を得るための行動。

 

だからもし。いまの真実で、ボブが満ち足りていたら? もし目の前の少女という真実が、ボブがもっとも大切にするものだったのなら?

 

ステファンはもはや、ボブとの共謀関係にはないことになる。

 

ステファンはボブを見た。そこには、人肉店の店主という商売人の顔はなかった。かわりに、その顔には掛け値なしの愛情が浮かんでいた。

 

だから、ステファンは決意した。もしもうしばらく待って、ボブがこのままなら。ボブに脱出する気がないのなら。

 

わたしは、ひとりでこの穴から脱出することにしよう。