「おーい、誰かいるか? 聞いてるぞ」 壁に口を当て、ステファンは言った。
「なにも聞こえないな」 ボブのほうは、壁に耳を当て、向こうの何かを聞こうと試していた。「声が小さいのかもしれねぇ」
先ほどのメッセージは、ふたりにとっての希望の象形だった。壁の向こうに、ことばの通じる人間がいる。そしておそらく、ふたりとおなじ境遇だ。互いに行き来したり、脱出したりする役に立つのかは、いまの段階では分からない。だがすくなくとも、協力できる可能性はある。
それと同時に、それはふたりにとって恥ずかしい指摘でもあった。ステファンもボブも、未知なる誰かと交信を試みるための大原則を忘れていたのだ。メッセージを伝えようと努力するだけでは、交信はできない。伝えたらこんどは、相手のことばを聞く努力をしなければならないのだ。
そう、二枚目の破片にはこう書かれていた。「きこえてる。かべにみみをあてて」
破片を、希望の象徴を眺めながら、ステファンは叫んだ。「誰か! いるか?」 そしてボブに向き直った。「どうだ?」
「うーん、まだ聞こえないな。もう一度試してみてくれ」 いつになく真剣な口調。「もうちょっと具体的にな。向こうも話し疲れてるかも知らん」
「わかった」 ふたたび、壁へ。「メッセージは読んだぞ! 聞いてるから、何か言ってくれ!」 ステファンは叫ぶと、じぶんも耳を当てた。
ステファンは壁の中の無数の反響音を聞いた。幾多の空洞の、絶え間ない騒音を聞いた。だがそのノイズの中に、ステファンは異質な音、意志のようなものを聞いた気がした。
「すまん、もう一度言ってくれ!」 ステファンは叫んだ。聞こえたのか、と問おうとするボブのことばを乱暴に遮り、ステファンは夢中で聴いた。
そして、こんどははっきりと、その声を聞くことができた。『……きこえてる。わたしは、アンナ・リー』
「ステファン・ロイドだ。ステファンと呼んでくれ」 伝わってくれ、頼む。
「ボブだ。よろしく」 状況を察したのか、それとも彼にも聞こえたのか、ボブはゆっくりと言った。
返事は来た。『……よろしく、ステファン、ボブ。はなせてうれしい』 骨伝導で聴く音は不自然で、相手の年齢はわからなかった。
「つかまってどれくらいが経った?」 ステファンは叫んだ。「俺たちは、昨日と今日だ」
「つまり、この部屋のトップは俺ってことだ。一日の差でな」 とボブ。
「黙ってろ」 ステファンはボブを小突くと、小声で言った。
『……たのしそうだね』 と、壁の向こうからアンナ。最初から聞き苦しいものを聞かせてしまったようだ。そうステファンがたしなめると、ボブは言った。「どうせ、耳も貸さずに壁を蹴飛ばしまくってたやつらだぞ」
「君はいつ来たんだね」 とステファン。「体調は大丈夫か?」
ステファンは聴いた。『だいじょうぶ。いつきたのかは、わからない。かぞえてないもの』 口調からして、相手は子供なのだろうか?
「なるほど、じゃあ君が一番の先輩ってわけだ」 とボブ。どうやら、奴にも聞こえているようだ。「一応だが、こっちにくる方法が分かったりはしないか?」
『わからない』 ステファンは、残念だが当たり前の返事を聞いた。
「じゃあ、部屋の外に出る方法は?」 あきらめずに、ボブは続けた。そして次の返事は、二人の予想とは大きくかけ離れたものだった。
壁の向こうの声は、おそらく子供の声は、こう言った。『え、どういうこと? いつもでてるけど』